カテゴリー「かぞく」の記事

2024年8月14日 (水)

阿波踊りの思い出、詰め込みました

35℃以上の酷暑が続いていますが、お変わりないですか。
葉瑠☆友幸は、いまのように猛暑・酷暑というようになる前(2018年頃?)までは、汗をかくこともなく、冷房も苦手でした。家族と冷房の部屋にいる時は、長袖を着て、という状況でした。

それが猛暑、真夏日が多く、気温も高くなった近年は、人並みに汗をかき、除湿30度設定+扇風機という部屋で過ごしています。設定を見ると、まだ寒がりのほうかもしれませんが。

なので、甲状腺機能低下症は、正常だと思っていましたが、血液検査の結果、低下ぎみだということで、
チラーヂンSが1日1回・朝食後 2.5錠 ⇒ 3錠 になりました。
貧血の注射も続けています。

それ以外は、病院と買い物以外、自宅にいて、礼拝などすべての集会に参加でき、守られております。

阿波踊りの思い出。。。

8月12日~15日、四日間ある阿波踊り。
4日のうち、1日は雨に降られるのですが、今年は大丈夫そうですね(*^_^*)
雨に降られると、小雨決行なので、太鼓や三味線にビニール袋をかぶせて、浴衣の着替えもなく、大変だと思います。

無料演舞場では、間近で写真を撮ることができ、楽しかったです。
<10年ぐらい前の情報です。いまは取り決めがあるかも。
葉瑠☆友幸が見に行った、新町、元町、両国橋 の無料演舞場と、東新町アーケードのことです。>

18時から通行止めにして、2車線の道路へ踊り込みます。
鉄パイプの組み立ては数日前から始まり、板を渡して、桟敷席の完成です。

連というグループに分かれて、踊ります。
先頭の人が連名の書かれた思い思いの高張提灯を持って、そのあとを連員の方の子供かな?
まだ踊り方もかわいい、ちびっこが付いていってます。

浴衣に編み笠の女踊り、法被を着た男踊り。女性の人の男踊り。
まとまって踊ったり、円になって踊ったり、左右に分かれたり。
鳴り物に合わせて、早くなったり、停止したり。
最後尾の鳴り物は、笛、三味線、太鼓、鐘。

かけ声は、「踊る阿呆に見る阿呆、おなじ阿呆なら、踊らにゃソンソン」「ヤットサーヤットヤット」など、連ごとにそれぞれです。踊る阿呆(連に入り踊ること)見る阿呆(見物客)
特定の連に入らずに、にわか連と言って、その日に集まって、踊らせてくれる連もあります。

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大学病院の先生方も学生さんと一緒に、連を作っています。
「にないか連」(消化器内科)、「にげか連」(消化器外科 )、「栄養学連」(栄養士)などなど。

入院中に、大学病院のロビーで「にげか連」が踊っているのを見に行きました。
消化器外科の主治医はお忙しいので、踊りが終わってから、ロビーに来られました。

消化器内科の先生は、演舞場近くで、連の移動中に会いました。
お二人とも、踊っている姿は見えず。。。

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結婚後に母と同居する前まで、住んでいたところの斜め前が、徳島大学の事務局の建物でした。
踊り期間になると、そこで練習している音や声が聞こえてきました。
そのかけ声は、「末は博士か、やぶ医者か。」
やぶ医者は困ります。良い医者になってください!!と、部屋の中で呟いてました。

独身の時は、毎年、家族と見に行っていたと思います。
いつも2日間くらい、行っていたと思いますが、その頃はブログをするとは思っていませんでした。
ブログを始めてからは、演舞場にあまり行ってない!! なので、使える
写真がない!!
特定の人を大きく映しているのが多い。友人のアップとか、おもしろいポーズの人とか(^_-)-☆

4人で見るときは、16時ぐらいから、お握りとお茶を持参して、祖母と母と出かけます。
早めに行かないと、バスも満員で乗せてくれなくなります。
臨時便も出るのですが、乗れないよ~と、運転手さんに手を振られます。
無料演舞場の席を取り、父は仕事が終わってから合流。

母は、やっこ踊りが好きでした。
踊り手2人がコンビを組み、奴凧(やっこだこ)と糸を操る人を演じ、鐘の音に合わせて駆け回り、疲れた奴凧は道路上に寝てしまうのですが、少しずつ少しずつ起き上がり、さいごは観客とほかの踊り手のかけ声で元気になります。

祖母も割と浮き助(ウキウキ浮かれて)で、帰り道に踊ったりして、母が恥ずかしい!!と、止めてました。

父と葉瑠☆友幸の二人で見に行くときは、夕食後から出かけて、空いている席に潜り込んでいました。
いちおう、葉瑠☆友幸は女の子なんですが、お構いなしに後ろ側に組まれた鉄パイプをよじ登っていったり、前からお邪魔したり。ズボン姿で子供だったからできたことです。

ある時、父が踊っている人に、ちょっかいを出して、一度、出口まで一緒に踊らされました。(笑い)
「カメラ、カメラ~」と言って、葉瑠☆友幸にカメラを手渡すのが精いっぱい。
葉瑠☆友幸は、周りの人と大笑いしてました。フゥフゥ言って、席に帰ってきました。

父は一人でも、自転車で出かけるほど、阿波踊りが大好きでした。踊る阿呆にはならず、見る阿呆でした。

企業連と言って、会社で作っている連もあります。また芸能人の方も来られます。
元夫は、追っかけ状態。事前にチェックして、出かけてました。

元夫と、高校の時の親友と、カラオケBOXで歌ってから、阿波踊り見物に行ったことも良い思い出です。
親友の息子も加わり、元夫と追いかけっこしている後ろから、葉瑠☆友幸と親友はゆっくりと付いて行ってました。
こどものパワーに付き合わされ、元夫は汗だくでした。

小学生の運動会は、いつも最後のプログラムは、阿波踊りでした。
学校近くのラーメン店の人が連長をされている連の方々が、いつも鳴り物などのお手伝いしてくださいました。

近年は、葉瑠☆友幸は、テレビやネットで見るだけになりました。
人込みを避けなくてはならないのと、演舞場の移動は、足がだるくなるので、やめました。
なんとなく見たくなったら、阿波踊りの中継サイトへアクセスしています。

猛暑がまだしばらく続きますが、体調が守られますように。

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2024年2月22日 (木)

母の召天4年

こんにちは。体調は守られていますか。
葉瑠☆友幸は、下痢と息苦しさが続いています。
主日礼拝と夕拝、家庭集会にはスカイプで参加できています。

2月6日(火)~8日(木)の瀬棚聖書集会にスカイプで参加。主題「死と永遠の命」
第50回ということで、瀬棚の方々の証しをお聞きしました。
プログラムごとに賛美が2曲ずつ選ばれ、ぜんぶで18曲。瀬棚聖書集会の方々の賛美を聞くことができました。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
創世記1章2節「神の霊が水の面を動いていた。」
エセキエル書27章4~5節「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。」
神の霊…神からの風(divine wind)が吹いてくる。創世記のはじめから新約の時代まで続き、そして信仰を持ち続けている限り、私たちのところまで吹き続けています。
 
2月11日の主日礼拝で、「心に残っている御言葉」として、葉瑠☆友幸が話した内容に、加筆しました。

詩編3編6節「身を横たえて眠り わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。」

父の定年退職と同時に父が働いていた工場は閉鎖されましたが、アルバイトしていた鉄工所で、やり残した仕事、機械の点検・修理を続けていました。そんなときに肺癌が見つかり、閉塞性肺炎も起こしていたので、発熱や胸の痛みで身体が思い通りにならず、入院になりました。その仕事の取引先の方が富山からお見舞いに来てくださり、図面を広げて機械の話などをして帰られました。それから抗がん剤治療を続けていましたが、転移性脳腫瘍の悪化のため、車の運転も禁止されました。
父が車を処分して数か月後、亡くなる一カ月前のことですが、「倉庫の位置を移動する。そのほうが明るいだろ。」と言って、父はアルバイト先の鉄工所から倉庫を持ち上げる手動式の道具を借りてきました。父がひとりでぼちぼち作業しているときも、母か葉瑠☆友幸のどちらかが近くにいましたが、脳腫瘍の位置が小脳だったため、もう平行感覚が保てなくなっていて、椅子から横に倒れるたびに「お~い、起こしてくれ。」と家族を呼ぶ、そんな状態でも父は作業していました。部屋を明るくする目的もあったと思いますが、あとに残る家族が困らないようにと考えての作業だったのかもしれません。
仕事の取引先や家族のために、最後まで父がやり遂げるための体力と気力を神様が与えてくださり、支えてくださったことを思います。
 
母も悪性リンパ腫の抗がん剤治療の3回目が終わり退院してきてすぐ、放射線治療が始まる前でしたが、「台所の6人掛けのテーブルを処分して、レンジやトースターを置く棚(3段)や収納ケースを購入しに行く。入院中にずっと考えていた。」と言った時には驚きました。

2019年1月の入院のあと体重が減り、LLサイズからLサイズへ。服を多く処分したので、母の部屋の入口にあった整理ダンスも処分。(召された後は、ズボンはかなりウエストが違うので処分しましたが、Tシャツやブラウス、ジャケット、靴下、エプロンなどは着ています。当分、買う心配ありません。)
亡くなる前の入院時、間質性肺炎により酸素濃度79と酸素マスクが必要なほどになったときは、病室内のトイレに行ったあとベッドに倒れ込むほどでした。家具の処分を言い出した時(*)、母は放射線治療、肺がん治療と続いた後のこと、息苦しくなったときのこと、介護のことなどを考えて、家の中を移動しやすくしておきたかったのかもしれません。
(*)2019年10月下旬。この時は、肺がん治療ができる予定でした。間質性肺炎の悪化により、家に帰れなくなる、酸素マスクを常時装着することになるなど、想像もしていませんでした。
父が仕事を掛け持ちして、1982年に建てた(一戸建ての)家に、住み続けたい。家が老朽化していくのも見届けたいと言っていました。身体がしんどくても、酸素吸入が24時間必要でも、家に帰って治療を続けたいと、さいごまで望んでいたことと思います。


葉瑠☆友幸も年末から先月まで、5年ぶりの咳喘息になりました。かねてからの胸水もあり、歩いている途中で息苦しくなって立ち止まる時が続き、両親の苦しみを思いました。

父も母も咳や息苦しさ、胸の痛みで眠れない夜もあり、「やっと一日がおわった。やっと朝が来た。」の毎日だったと思います。
私たちの苦しみのとき、主が顧みてくださり支えていてくださる。感謝します。以上です。
 

徳島県の自殺者が昨年1年間で、女性と若者を中心に100名とのNHKニュースを見ました。
原因・動機は健康問題。そして経済・生活問題。交際問題。家庭問題。
どうか重荷を抱えている人に、寄り添ってくれる人が与えられますように。

葉瑠☆友幸はキリスト教の信仰により強められ、主にある交わりにより励まされています。
神様、イエス様とつながり、聖霊が注がれ、力をいただいていることに感謝です。
集会の姉妹が、家で作ったお米で
お粥を炊いて届けて下さったり、いつも気にかけてくださり感謝です。
パソコンやスマホの使い方などで頼ってくださり、家に来てくださったり。集会場に行けない状態の葉瑠☆友幸を元気づけるために、2~5人の少人数での集まりにお声掛けしてくださり、夕食を作ってくださることに感謝です。ひとりで暮らしていても、孤独ではありません。

母が召されて4年となりましたが、「がんばってるね。」とは言えない状況です。
朝食はバナナだけだったりして(お腹の不調のため)、
食事もきちんと摂れず、生活習慣も乱れています。
体調が悪いから、きちんとできない。きちんとできていないから、体調も良くならない。
どうか母のいた頃のように、規則正しい生活に戻れますように。

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2024年1月31日 (水)

家族の歴史

石川県能登半島地震で亡くなられた方(石川県238名)のご家族の皆様に、神様の慰め励ましがありますように。

13秒差でマグニチュード7.3相当が2回発生した可能性があるとのニュースを見ました。
まだ余震が続いています。被災された方々の不安がひとつずつ取り除かれていきますように。

集団避難をされた中学生の皆様が、一緒に避難している学生の方々や周りの方々と共に毎日を快適に過ごせますように。今回のことが新しい力となって将来の命の糧となりますように。

避難生活を送られている方々に、災害義援金や救援物資がじゅうぶん行き渡りますように。
コロナ感染症、インフルエンザ、寒さによる不調などから、守られますように。

停電はおおむね復旧したものの、断水は1ヶ月以上続くとのこと。
神様が皆様を顧みて、支えてくださいますように。

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2019年以来、久しぶりの咳喘息による長い体調不良でした。受動喫煙だけが原因だったのかと思うぐらい、久しぶりでした。祖父や妹の召された時期でもあり、いろいろ思い出されました。

祖父との思い出…1970年12月56歳で召されました。
小さかったので、思い出がありません。両親ともに徳島生まれ、徳島育ちですが、葉瑠☆友幸は父の仕事先、大阪で1969年3月に生まれました。
祖父の体調が悪くなり、
父は勤務先の仕事の段取りがあるので、母と共に一足早く徳島へ帰ってきました。
当時は長屋住まい。孫が泣くたびに胃ガンの痛みに耐えながら、屋外で子守をしてくれていたようです。
父と母は、いとこ結婚(*)なので、子どもの時からの交流があり、婿養子に入りましたが、祖父と父との関係は良かったのでしょう。
「(祖父が亡くなる前に)さいごまでみんなの面倒を見ると、おっさんと約束した。」と、父が言っていたのを思い出します。
(*)
父方の祖父と母方の祖父が異母兄弟。異母のふたりも姉妹どうし。父にとって祖父は、義父であり、叔父でもある関係。

との思い出…1973年5月に生まれ、1974年1月8カ月で召されました。
妹のベビーベッドを覗いている葉瑠☆友幸の写真はありますが、妹の顔はハッキリ映っていません。
妹の写真は、看護師さんの手が下から妹の首を支えてくださっているお風呂での写真しかなく、着物を掛けた合成写真が遺影となりました。
母に聞いたところによると、「女の子は、おしっこの出るところとうんちの出るところのあいだに生理の出るところがある。その❝うんちの出るところ(肛門)と生理の出るところ(膣)のあいだに、もうひとつ穴が空いていて、そこから水分などが漏れ出ていた。オムツを替えても替えてもすぐに濡れた状態になっていた。」とのこと。「(赤ちゃんのため)体重が増えたら手術」の予定だったのですが、間に合いませんでした。最期は体内に水分が一滴も残っていない状態だったと聞いています。

いま言えるのは、妹は(はっきり見える形で)穴が空いていて、葉瑠☆友幸は(目に見えませんが)リンパ管形成不全でザル状態。ふたりとも奇形で生まれ、必要なものが漏れ出ている状態ということですね。
(葉瑠☆友幸自身の診断も1989年だったので、1973年当時に診断がついていたかは不明です。)

祖母との思い出…1997年4月80歳で召されました。
1974年頃に市営住宅へ引っ越し~1982年に父の建てた現在の家に引っ越し。脳梗塞で召されるまで、ずっと4人家族。一緒に住んでいました。

母が躁うつ病で状態が悪い時、母に代わって家事を引き受けてくれました。
杢張り(もくはり)の仕事を長年していました。杢張りというのは、接着剤を塗った板に木目となる木を0.2ミリ程度に薄くスライスしたもの(杢・もく)をアイロンで張り付け、美しい木目を表現する技術のことです。祖母の働いていたところは、雇い主の大将と二人で、鏡台に杢張りをしていました。働いている所へ学校帰りなどに度々お邪魔した時、「良い時に来た。抜いて!」と祖母に言われ、作業中に指に刺さったトゲを針とピンセットで抜いていました。
家ではオセロゲームや、花札などをして遊びました。孫のジグソーパズルに、まったく合っていないところにピースを埋めて、「できたよ。」と言っていたのを思い出します。
葉瑠☆友幸が風邪の時も食事を摂っているのを見て、感心したように「すごいな。きちんと食べて。」と言ってくれていたのを思い出します。

との思い出…2011年5月66歳で召されました。
祖母、父、母、葉瑠☆友幸で旅行に行ったことが、良い思い出です。
思い立ったら即実行で、ゴールデンウイークの初日に突然「行こう!」ということになり、母や祖母が準備に大慌てでした。急いで炊飯器からご飯を出して、お握りにしていました。泊まるところも予約していないので、レンタカーを借り、運転する父以外は、倒した後部座席で寝ながら移動という日もありました。父しか運転できないのに、「次は〇〇行くか? もうちょっと足伸ばして〇〇行くか?」よほど運転や旅行が好きだったのでしょう。葉瑠☆友幸が「〇〇と書いてあるのが見えたら、言えよ。」との父の指示を受け、助手席で地図を見ながら、道路標識を見ながら、合図していました。
父は出張先で指を怪我した時も、救急車の要請が1台で済むように、応急処置だけで、淡路島~大鳴門橋を下りたところまでトラックを運転してきて、鳴門ICで救急車を呼んだようです。トラックは会社の人が取りに行ってくれましたが、高速道路の代金を負担しなくて済むようにと配慮していたようです。あとで聞いて驚きました。機械の試運転中に巻き込まれ、足で蹴飛ばして機械を止め、指はあとすこしで切断かもというほど皮膚がめくれあがっていました。太ももの皮膚を移植したように記憶しています。
葉瑠☆友幸が蛋白漏出性胃腸症の病気を疑われたとき(診断前・帰りの車内で)、「血が濃いとか関係あるのかなぁ(?)」とポツリと父が小声で言ったのが聞こえました。医者には聞いていないと思います。葉瑠☆友幸自身は、二人がいとこ結婚であることは知っていましたが、「いまさら、そんなこと言っても、過去(生まれる前)に戻ることはできない。」と思ったぐらいで、両親が結婚したことが悪いと思ったことはありません。葉瑠☆友幸も両親も、面と向かっては何も言いませんでした。

いとこ結婚・血が濃い云々、および病気との因果関係については、実際に検査をしたり、なにか書物などを調べたりしたわけではありません。「父や母が気にしていた」というだけで、根拠はありません。出生時のデータもありませんし、今後も調べる気持ちも方法もありません。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
エフェソ4章7節「わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。」
ヨハネ9章3節「イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」」

との思い出…2020年2月73歳で召されました。
葉瑠☆友幸が入院した時、母のハイヒールで歩く足音が待ち遠しかったです。病院の廊下によく響いていました。
母の闘病中に通院に付き合った日は、
バスの時間まで1時間ほど待つあいだに敷地内の喫茶室でお昼を食べ、30分かけて駅まで帰ってくると、そごうの地下でホットコーヒーを飲んで、そして家近くまでまたバスに乗って帰ったことを思い出します。精神科に入院時も、その喫茶室まで家族同伴での外出許可が下りたとき、葉瑠☆友幸が病室へ着くより先に「たこ焼き、食べてもいい?」と主治医に聞いて、オッケーをもらっていたのが良い思い出です。
母はドライヤーが苦手で、家では自然乾燥。2019年1月の入院時に背中まで伸びていた髪を、院内の美容院で肩ぐらいまでカットしました。同年3月の入院時は、母の髪を葉瑠☆友幸がドライヤーで乾かしましたが、カットしてくれていたおかげで楽ちんでした。
「〇〇ジュース▲本、コーヒー▲本。」という注文が、スマホの留守番電話の録音に毎日、朝起きてから着くまでにあり、つぎつぎと再生しては、届けていました。口内炎ができたときには、アイスクリームを届けました。食べているときに、看護師さんが入ってきて、「いいもの食べてるね。」と驚いていました。
また入院中にユリの花を折り紙でたくさん折っていたことも思い出されます。手のしびれがなければ、LINEの使い方を教えたかったです。

葉瑠☆友幸が生まれたころから、母が躁うつ病になり、さらに葉瑠☆友幸や妹の病気のこともあり、両親ともに苦労したと思います。けれども、いとこ結婚したことで周りからいろいろ言われたりしても、父は祖父との約束を果たし、家族を守り抜きました。母は自分を責めて心が疲れた時も多かったことと思います。祖母はそんな母をサポートして葉瑠☆友幸の助けとなってくれました。

葉瑠☆友幸には言えないことが、両親や祖母にはあったかもしれません。
両親には言えないことが葉瑠☆友幸にあって、祖母にだけ打ち明けたこともあるかもしれません。
家族の生きている間には気づかなかったけれども、そんな気がしています。

いろいろあるなかで、助け合って、守り育ててくれたのだと思います。
いま生きづらさを感じている方に、身近な関係でなくても、寄り添ってくださる人が与えられますように。

Ⅱコリント12章9~10節「主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。…なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」

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1月6~7日の冬期聖書集会には、スカイプ参加できました。県外から16名の方が来てくださり、徳島聖書キリスト集会の集会場とスカイプの併用で恵まれた集会となりました。
主題「御言葉の飢饉を克服する道」。読書会「アモス書を読む」では、1章から9章まで9名の方が決められた担当箇所について、10分間ずつ、お話しくださいました。そして25分間、吉村さんがまとめとして話されました。
葉瑠☆友幸は咳き込む時期だったので、参加者の名前の返事をするとき、自己紹介のときはどうにか言えたのですが、感話は「次の方へ、お願いします。」となりました。
感話の時のタイムキーパーも、録音で「時間です。」と言わせていただきました。しかし画面越しに多くの恵みをいただくことができました。

アモス書8章11~12節「見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。人々は海から海へと巡り 北から東へとよろめき歩いて 主の言葉を探し求めるが 見いだすことはできない。」

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今月22日頃から、またお腹の不調が再発しました。水様便まではいかないのですが、軟便。
トイレに行きたいと思ったら、もう待ったなし!という感じです。
きょう、大学病院の消化器内科の診察で、年末からの経過(咳喘息、下痢)を説明。
どうやらずっと下痢が続いていたところへ、咳喘息になり細菌感染を抑えるため抗生剤レボフロキサシン錠 500mgを7日間服用したために、腸内の善い菌(善玉菌)まで一掃されたみたいです。「しばらくかかるね。」とのことでした。先週、大学病院の消化器内科でしていた、便の細菌検査は異常ありませんでした。
整腸剤ミヤBM錠
 毎食後・
1回1錠を処方してもらいました。薬の名前に聞き覚えがあると思ったら、母も抗がん剤治療による下痢の時、服用していました。
以前にも同じようなことがあったようで、2015年5月9日の記事に書いてました。抗菌剤ジェニナック錠という薬の時も、食事のたびに軟便に悩まされたようです。

咳喘息の症状は、昨年12月26日から4週間かかって、やっと治りました。
胸水からか、咳喘息の後遺症(?)か、外を歩いていると、なぜか息苦しさを感じます。
そんなとき、立ち止まって空を見ると、明るいお月さん、きれいな夕焼け、そばには木星、知らぬ間に鳶(とび)まで。
(*^_^*) 休憩しながら、パチリと撮影タイム。
息苦しさの原因は、次回大学病院の呼吸器内科の診察日の2月15日に、レントゲン検査すれば分かると思います。

今回のブログはすこし思い出を書くだけのつもりが、心の内をたくさん書いてしまいました。

皆様もお身体ご自愛ください。

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2023年6月 8日 (木)

告知、延命、葬儀ー父母の場合

※ ホームページを公開するにあたり、ブログを読み返していて、闘病のことは細かく書いてあるのに、がん告知、延命治療、葬儀のことは書いてない。と思い、この記事を書いておきたくなりました。

がん告知
父の場合、気管支鏡検査の結果待ちのときに、まず母と葉瑠☆友幸に説明がありました。
「患者さんは告知を望んでいますか?」と言う医師の問いに、「知ったうえで、治療を進めたいタイプだと思います。」と答えました。その日のうちに父にも「肺がん
の告知。脳外科へ院内紹介後、3人で「転移性脳腫瘍」の告知を受けました。

母の場合、前もって、告知を希望かどうかの問いはなく、検査結果を聞きに行った日に、診察室に入るなり、「悪性リンパ腫です。悪いものでした」との告知。母の精神状態がすごく心配になりました。そのときに、診療計画のパンフレットをもらってきました。

※ 父も母も直接聞いていても、すべては聞こえていなくて、あとで本人が聞ける状態かどうかを見ながら、葉瑠☆友幸が補足説明していました。母の場合、第一回目の治療が始まったあとぐらいまで、「いまは聞きたくない。病院には行くけど。」という感じでした。母のほうから言うまで待ってから、先生の話をメモしているノートを渡しました。
「細かく書きすぎ。」と言われました。考えすぎると鬱状態になると母自身が分かっているので、流し読み程度だったと思います。

※ ちなみに、祖父も胃がん。そのときは、祖父には「胃潰瘍」との説明にしていたそうです。家族が「胃がんと思って養生しなよ。」と言っても、「医者が胃潰瘍と言った。」と信じ、葉瑠☆友幸を背負って子守りをしてくださったようです。胃が痛かったはずなのに、感謝です。

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延命治療
父の場合、肺がん、転移性脳腫瘍が悪化し、間質性肺炎、誤嚥性肺炎も併発。もう酸素の入るすき間がない。というときに、ナースステーションに呼ばれました。母の精神状態がいっぱいいっぱいだったので、葉瑠☆友幸だけが聞きました。
脳が腫れていて、小脳に腫瘍があるため、平行感覚が取れなくて歩けない。声も出せない。そんな状態で人工呼吸器を装着しても、父がつらいだけだと思い、人工呼吸器は拒否しました。「モルヒネ投与で眠らせてあげようね。」ということになりました。

母の場合、何回も酸素状態の悪化を繰り返していたので、「もしものとき、人工呼吸器はどうされますか?」と打診されました。母自身の言葉で、人工呼吸器は拒否しました。母の精神状態を考え、まず葉瑠☆友幸に話し、気持ちを聞くようにしてくださいました。
痛みで暴れるようになり、「モルヒネ投与」しながら抗生物質の効果を待っていたのですが、
多臓器不全へと進みました。

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葬儀

父のとき… 2011年5月29日の記事
母が喪主をすることはむつかしいとのことで、父方の伯父から「お前がやれ。」と言われました。
祖父(1970年12月没)のときは赤ちゃんだったので、分からず。
妹(1974年1月没)のときはまだ幼くて覚えていません。
妹の葬儀後、「暗いところに入って行って出てこなかった。」としばらく言っていたそうです。
祖母(1997年4月没)の葬儀のときは、母もしっかりしていて、葉瑠☆友幸が祖母が亡くなった直後に泣いていると「しっかり見送ってあげよう。」と言って、表立って動いていました。
ここまで仏式(真言宗)の葬儀でしたが、父が喪主として取り仕切っていたので、チンプンカンプン。
両親と『亡くなった時、葬儀の予算・規模をどうするか』について話すこともなく、その日を迎えてしまいました。

いろいろ決めるべきことは、伯父・伯母たちがしてくださいました。
伯父たちに助けてもらいながら、喪主として、葬儀会場「ベルモニー会館」の担当者との打ち合わせを進めました。

病院で召されました。召された直後、YT姉が早々にかけつけてくださり、退院手続きを待つ間、ずっと励ましてくださいました。そして入院時の荷物と一緒に家まで車で乗せて帰ってくれました。自宅にほかの親族が集まり始めるまで、付き添ってくださいました。
母方の伯母家族(伯父、従弟)もすぐ駆け付けてくださり、母と一緒に一足先に帰って、父を迎え入れる準備をしてくださいました。
葬儀社の寝台車で自宅へ連れて帰り、翌日に葬儀会場へ搬送しました。
通夜の日は、葬儀会場で、母、母方の伯母と3人で泊まりました。

納棺のまえに、湯かん(ぬるま湯で身体や頭髪を洗浄してご遺体を清潔にすること)をしていただきました。
むつかしい解釈は分かりませんが、ずっとお風呂に入れなかったので、さっぱりしてもらいたいな。という思いからお願いしました。

通夜の時、父の頭を持ち上げる必要ができたのですが、落とさないか、緊張しました。
葬儀の時の挨拶は、「親族代表」として、父の2番目の兄である伯父がしてくださいました。
葬儀後の会食のときに、挨拶させていただきました。親族だけですので、お礼を述べただけでしたが、なんとか言えました。

遺影は、ガンマナイフ治療の帰りに、淡路島PAに駐車していたバスの前で撮影したもの。
「写真を撮ってくれ。」と父が言い出したので、なにか思うところがあったのかと感じ、その時のを使いました。
治療あとの絆創膏も、修正で消してくれました。背景は空の風景を合成してもらいました。

 
※ 実際の合成用の写真は、葬儀社が用意した「サンプル」で選びました。

母のとき… 2020年3月6日の記事
母のたったひとりの姉である伯母から「
キリスト教式は分からないから、任せる。」と言われていました。
喪主は葉瑠☆友幸ですが、どのように決めたらよいか、よく分からないので、司式の吉村孝雄さん(徳島聖書キリスト集会代表)にお願いしました。
モルヒネ投与後に危篤状態になったときに、吉村さんに連絡。
NHKでも紹介された「小さなお葬式」が安いということで、
葬儀場の予約をパソコンで手配してくださいました。
召されてすぐ連絡をすると、打ち合わせの日程を決めてくださいました。
打ち合わせでも、省けることはどんどん省いて、葬儀場の方との話し合いを進めてくださいました。
葉瑠☆友幸の健康面、金銭面を考えてくださり、助かりました。
父母は互助会というのに入っていたようですが、それを利用するよりも安いとのことで、母の葬儀後、解約をしました。

病院で召されました。自宅へ連れて帰らずに、葬儀社の寝台車で、病院から葬儀会場へ直接 搬送してもらいました。
母方の伯母家族(伯父、従弟)が召された後にすぐ駆け付けてくださり、退院時の事務手続きや、病院から自宅まで入院中の荷物の運搬を引き受けてくださいました。
前夜式は行いませんでした。その夜は、葉瑠☆友幸だけが、葬儀会場で泊まりました。
KT姉が葬儀会場で葉瑠☆友幸が心細くならないように、打ち合わせの時も付き添っていてくださいました。
YT姉とKK姉は、病院(召されてすぐ来てくださった)⇒⇒葬儀会場(KT姉を降ろし)、葉瑠☆友幸の自宅へ 喪服(夫の親に譲り受けたもの)などを取りに行ってくださり、自宅近くのお店(いつも行っている店から買ってきてくださった)、葬儀会場と、よく動いてくださいました。
その後も19時過ぎまでいっしょに居てくださり、話し相手をしてくださいました。

みんなが帰ったあと、いつもの日課、エレンタールを飲んで、お風呂に入って。。。
なんか忘れている気がして。「あっ、喪主の挨拶!」
今回は伯母に頼むわけにもいかず。いそいで考えました。
火葬場でも集会の姉妹が交代で、声をかけつつ付いていてくれました。
火葬炉のまえで賛美をし、いよいよスイッチをONにする時に泣き崩れそうになりましたが、「骨壺を選んでください。」との担当者の声で、涙を止めることができ、喪主としての務めを果たすことが無事、できました。

遺影は、抗がん剤治療の入院中に撮影した写真。あまり写真に撮られるのは好きでなかったのですが、このときはすごく良い笑顔。背景を母の好きなコスモス畑に合成してもらいました。

☆●□◆▲▽★○■◇☆●□◆▲▽★○■◇☆●□◆▲▽★○■◇

父母にとって子供は葉瑠☆友幸ひとりなので、兄弟で分担してということができないので、後のことは心配だったと思います。集会の兄弟姉妹、親族の方々の助けを借りて、葬儀を執り行うことができ、安心しました。

神様、イエス様 慰め励まし、心の平安をありがとうございます。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
使徒言行録 14章22節「弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」

葉瑠☆友幸の場合… 2017年4月16日の記事にも書きました。
〇 告知。こわいけど、知らないままだと不安が膨らむばかり、悩むばかりだと思うので、知ったうえでいろいろネット検索して、わからないことは主治医に聞いて。というタイプだと思います。
〇 延命治療。免疫低下で、栄養不足で。ガン末期になると、回復はむつかしい要因がいっぱいなので、痛みだけ軽減してください。との希望。
〇 葬儀。キリスト教式。母方の伯母家族と集会員でおねがいします。
※ 葬儀で使う賛美と聖書箇所の希望など。これはヨシュア兄が「
☆友幸ちゃんも持病があるから、いつどうなるか分からない。希望を書いて渡しておくといいよ。」と言って、ご自分のを見せてくださいました。
葉瑠☆友幸も
参考にさせていただき、吉村さんに渡しました。母には心の病があるので、言えなかったです。(たぶんお世話になるであろう、母方の伯母と従弟にコピーを渡しています。)
〇 遺影。一人で映っているのはあまりないかな? 集会での集合写真を加工? 母のように良い笑顔を自撮りしておきますか?

重いテーマになりました。皆さんの霊肉共に守られますように。

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2020年8月23日 (日)

母との思い出

こんにちは。体調は守られていますか。

母が召されて、半年が過ぎました。
さびしい半面、コロナ感染症のことが重大すぎて長すぎて、まだ半年?という感じもします。

コロナ禍のいまの状況をみて、神さまに感謝しています。
母にとって最善のときに、神さまは「乗り越えられない たいへんな苦難がはじまるから、もうこちらへ来なさい。」と天に招いてくださいました。
母にとっての逃れる道…それは 転院先でもなく、居宅支援施設でもなく、自宅でもなく、天の神さまの御許でした。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
Ⅰコリント 10章13節「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

そして葉瑠☆友幸はというと、集会参加はあいかわらずSkypeを用いてです。
徳島聖書キリスト集会では 6月21日から8月2日までの主日礼拝は 田宮の集会場に集まる人は10数人。
三密を避けていつもより少人数です。Skypeによる参加者(県内外)30名弱とつないでいました。

7月の4連休のころから、徳島でも毎日のように感染者が増えていることから、また田宮に集まれなくなりました。
これからも それぞれのところで、おひとりおひとりに 聖霊が豊かに注がれ、神さまの祝福が豊かにありますように。
Skype集会も半年つづいていますが、神さまのお導きによりオンラインの方法が与えられ、全国の方とつなぐことができ、ともに礼拝を守れていることに感謝します。

母と何度も行った、そごう徳島店がもうすぐ閉店します。
3階にあった喫茶店は、葉瑠☆友幸がさきに気に入って、紹介すると母も気に入って。。。
オリジナルのパン、サラダ、オニオンコンソメスープ、飲み物のセット。。。

ある時、母が飲み物のグラスを横にのけようとして、割ってしまったことがあります。
店員さんはさっと拭いてくださり、帰り際に「気にしないで、また来てくださいね。」と言ってくださいました。
とても心に残っている思い出です。
そのあと がん治療中にも、伯母(母の姉)や従弟と四人で行きました。

徳島駅でバスを乗りかえて通院していたので、地下にある喫茶店にも、帰りにいつも寄りました。
葉瑠☆友幸はホットコーヒーを、母はミックスジュースを飲むことが多かったです。
バスの乗り換えで疲れても、ほっとするひとときでした。

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2020年3月 6日 (金)

母が召されました

こんにちは。体調は守られていますか。
母のことでお祈りをありがとうございます。

母は 2月22日(土)午前8時16分 永眠いたしました。73歳でした。

2月5日以降 サイトメガロウイルスに重点を置き治療。
ステロイド内服量も一日5錠まで順調に減量できていました。

2月11日 39度の発熱。
左耳の下や鼻の下が痛々しく、ただれてきました。
左頬に水疱もできました。
発熱性好血球減少症を疑い、点滴を「ホスカルネット」に変更しました。

2月14日から翌朝にかけて、急激に肺の状態が悪くなりました。
免疫が下がっている状態ですが、再びステロイドパルス療法で多くのステロイドを点滴しました。

2月15日 午前7時頃、鼻腔カニューレを酸素流量10にしても、SpO2が79以下のまま上がらなくなり 病院から電話がありました。
ハイフローネーザルを装着(80%設定)。
尿管カテーテル・オムツにて、ベッド上安静。
説明で「入院時より悪い状態です。今日明日のうちに急変する場合あり。」と言われ、付き添い宿泊を許可していただきました。

2月16日 ハイフローネーザルを装着(100%設定)。

2月17日 動くと、SpO2 79まで下がる。息苦しいとき(SpO2 85以下など)リザーバーマスク(酸素流量10)を併用。

2月18日 SpO2 75~85前後。最低 50前後。
ハイフローネーザル装着。100%設定。リザーバーマスク(酸素流量10)も常時着用。
内服がむずかしくなってきている。点滴に変更したり、中止したりして極力減らしていく。
23時頃より、モルヒネ投与。「夕方より息苦しさが増している。少ない量から始める。」

2月19日 SpO2 70台。最低 50前後。息がせこい。

 

  

うとうとしていて、目覚めては酸素マスクを外してしまうので、ベッドに身体拘束されてしまいました。
モルヒネを投与して、意識レベルが低下してからは、すぐに拘束ベルトを外してもらいました。

2月20日 昨夜からモルヒネ、常時投与となる。
意識レベルの低下により、声をかけても反応なし。
全身状態が悪い。低酸素が続いているので、臓器の状態が悪くなっている。
以前は98ぐらいであった脈拍が115。
●説明
①間質性肺炎の急性増悪により、ステロイド治療(点滴と内服)
②免疫が下がっているときにステロイド治療したために、サイトメガロウイルスを発症。
③サイトメガロウイルスの治療薬の副作用により、白血球(好中球)と血小板が下がっている。

2月21日 モルヒネ投与。意識レベルの低下により、声をかけても反応なし。

2月22日 午前7時過ぎから脈拍が弱くなる。15日からずっと付き添い宿泊をしていたので、看取ることができました。

2回目の間質性肺炎の急性増悪。当初から言われていたとおり、乗り越えられませんでした。
伯母一家、YT姉、KT姉、KK姉夫妻がすぐに駆けつけてくださいました。KK姉が死に化粧をしてくださいました。

葉瑠☆友幸が起きるのを待ってから、伯母や集会の姉妹を呼ぶことのできる時間を待ってから、最期の時を迎えたように感じました。
家族はひとりなので、母が亡くなれば、葬儀のことやそのあともいろいろなことをしていかなければならない。
そんな葉瑠☆友幸の体調や心細さを気遣って、母はこの時間帯を選んで召されたのだと思いました。

葬儀は、キリスト教式。司式は、所属集会の代表:吉村 孝雄さん。
親族9名。集会から26名(主日礼拝の後、参加してくださいました)
同日、徳島キリスト教霊園に納骨しました。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
ルカ 5章18~20節「主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。」

母のいちばんの心配・・・うつ状態にならずに、治療を継続すること。
葉瑠☆友幸のいちばんの心配・・・インフルエンザや咳喘息から守られ、母に付き添えること。

退院することは叶いませんでしたが、この2つの願いは聞かれました。
心を乱されることなく 最期まで希望を持って治療に向かうことができました。

集会の皆さんをはじめ、とりなしの祈りをしてくださった方々に感謝します。

神さま、母の闘病生活をお支えくださり ありがとうございました。

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2020年2月 7日 (金)

母の体内にーサイトメガロウイルス??

母のことでお祈りをありがとうございます。

前回の記事で、「転院の方向で話し合い」と書きました。
転院先の職員の方が来てくださり、話も聞きました。
ステロイド内服量の関係で、「個室が空き次第、連絡します。」とのことで待っていました。

しかし31日の採血結果で、血小板の値が下がりました。
2月3日の再検査でも下がっているので、副作用が疑われる薬を中止しました。
5日にさらに詳しく調べると、「サイトメガロウイルス」が見つかりました。
一日1回「デノシン」という点滴をして、様子を見ています。

感染したというべきか、もともとあったのが免疫低下で出てきたというべきか。
詳しく知りたい方はネットで調べてください。説明できません。。。

点滴は2週間ぐらい続けるそうです。
転院の件はしばらく保留です。
転院先で治療できるようならば早く決まるかもしれないし、延期して大学病院で治療継続かもしれません。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
詩編 55編23節「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる。」

詩編 25編4・5節「主よ、あなたの道をわたしに示し あなたに従う道を教えてください。あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。」

自覚症状はなく、食欲も戻ってきました。
年末年始 食べられなかったのは、肺炎で息苦しかったのですね。
普通はSpO2が88ならば 息苦しく感じるそうですが、母は85以下にならないと分からないようです。
葉瑠☆友幸の総蛋白(TP)が低くても慣れてしまっているように、母も慣れてしまっているのかな?

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2020年1月31日 (金)

母の治療 断念!!ー1月の経過

こんにちは。体調は守られていますか。

母の闘病生活が大きく変わってしまいました。

6日(月)に「肺がん治療のための入院が決まりました」との電話が、大学病院 呼吸器内科の主治医からありました。
年末年始 食事の量が少なく、咳や痰など体調不良状態であると説明しました。

当初の外来診察日である16日(木)まで自宅で様子を見る話も出ましたが、いつもの咳と違う気がして。。。
8日(水)に予約外で呼吸器内科の診察をしていただきました。
酸素飽和度(SpO2)が79で、即入院となりました。

8日のレントゲンやCTでみるかぎり、9月の画像より肺癌が大きくなり、肺の白い影も広がってました。
入院した日は個室内のトイレまで行くだけで、SpO2が65まで下がりました。
鼻腔カニューレでは酸素が上がらず、酸素マスクでは食事や痰を出す時などに酸素が下がるのでハイフローネーザル装着しました。

 

急に肺炎を起こした原因は、入院当初はわかりませんでした。
細菌性、真菌性(カビ)、ウイルス性、薬剤性(抗がん剤)、間質性肺炎の急性増悪 など。
いろいろ原因としてあるそうで、分かったのは連休明けでした。

8日~10日 酸素流量が日ごとに増えました。8日 3、9日 5、10日 9
原因が特定されるのを待つ余裕がなかったので、3つの治療を並行して行ないました。

間質性肺炎に対しては、ステロイド剤による治療。
真菌性肺炎に対しては、内服薬「サムチレール15%」。
ウイルス性に対しては、抗生剤の点滴「タゾピぺ」。

10日(金)に「ステロイド剤がきかないかもしれない。
免疫力が低下している状態で、ステロイドパルス療法をするので、負けてしまうかもしれない。
ステロイドがだめとなれば、あとは治療法がない。」との話がありました。
しかしこの最悪のときを乗り越え、14日ごろから少しずつ効果が出始めました。

17日(金)レントゲンやCT検査、入院してからの経過により、原因は「間質性肺炎の急性増悪」と診断されました。
抗がん剤によって急激に悪化した薬剤性肺炎とも考えられます。
母の持病<肺気腫><間質性肺炎><肺がん>この3つは合併します。

<ステロイドパルス療法とは、メチル・プレドニゾロン500~1000mgの点滴注射を3日間連続で行う治療法>

10日~12日にステロイドパルス療法。
13日~26日 「プレドニゾロン」内服(5g×8錠)、27日から (5g×7錠)。
2~4週間ごとに10gまで減量していきます。

現在でも トイレの時、ベットからポータブルトイレへ移動するだけで SpO2が88ぐらいまで下がります。
酸素吸入は、鼻腔カニューレを24時間装着。酸素流量は 安静時 3、動くとき 5 が続いています。
自覚症状はなく、徐々にお風呂が許可されたり、リハビリ時の歩行距離が伸びているようです。

21日(火)のCT検査で判断。
肺がんの治療はできないことになりました。
間質性肺炎の急性増悪は予後不良です。風邪などで今度 悪化したら、救命が難しいそうです。

退院後も在宅酸素療法が必要です。

服用しているステロイドの量が多いのでインフルエンザなどの感染症が心配なこと、
また
介護申請するにしても葉瑠☆友幸しか家では介助する者がいないので、自宅で在宅酸素療法は難しく、
転院の方向で 患者支援センターの人と話し合いをしています。

(将来 外泊という形で 病院5日・自宅2日 というようにできる可能性はあります。)

入院できたので点滴で栄養を摂れて、ひと安心だと思っていたのですが、母の心の平安をお祈りお願いします。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
Ⅰペテロ 5章7節「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

エレミヤ 17章14節「主よ、あなたがいやしてくださるなら わたしはいやされます。あなたが救ってくださるなら わたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます。」

ヤコブ 5章15・16節「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」

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2020年1月 6日 (月)

今年もよろしくお願いします。

新年あけましたね。ことしもよろしくお願いします。

「2019年はどんな一年でしたか?」
「2020年はどんな一年にしたいですか?」
年末年始のこの時期は過ぎた一年を振り返るときであったり、
新しい年はこんな一年にしたいと予定を立てるときであったり。
途中で断念したことに再び取り組もうと気持ちを新たにしてみたり。。。

学生だったり、会社員だったり、主婦だったりしたときは、
「〇年生」「入社〇年目」「結婚〇年目」と積み重ね、変化がありました。
離婚したあとは 「年(とし)」が変わっても、生活に大きな変化もなく、前年の延長でした。

でもこの年末年始は、いつもとちがいます。
2019年を振り返ると、母の度重なる病の告知。続いての闘病生活。
2020年を考えると、引き続き母の肺がんの治療。

年末年始に母はあまり食べられない日が続いているので、これからの治療を考えると、不安な気持ちになってしまいました。
食べる量が少ないと、脱水症状で腎臓は悪くなるし、免疫グロブリンが造られないと肺炎や感染症が心配です。

母は 食事の量が少なくて、蛋白質の摂取量も少なく、免疫グロブリンも低下。
葉瑠☆友幸は 食事の量が摂れていても 漏れるので、蛋白質も免疫グロブリンも低下。
よく似た採血の値、よく似た体重になってしまいました。
身長は同じくらいで、15 kgぐらい差があったのに随分やせてしまいました。

父も肺がんでしたが、未分化癌。タイプがちがうし、父が治療していた10年前とは治療も進歩していることと思います。
だからこそ患者に告知するのだと、ニュースアプリで読んだことがあります。
しかしふたりとも喫煙歴50年で「肺がん」。
肺がんの原因=喫煙といわれますが、母は癒されてほしいと思います。

告知で不安になったとき、
体調不良の状態で付き添うとき、
母が体調不良ですぐに入院したとき、
母の痛みや苦しみのとき、
いつも神さまが わたしたちを支え励まし、その時その時に最善の道を備えてくださいました。
神さまの 癒しの力を信じて、これからも母に付き添っていきたいと思います。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
コロサイ 1章15~17節「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」

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2019年12月14日 (土)

近況報告

お久しぶりです。体調は守られていますか。
母の病気のこと、ご心配をおかけしています。
お祈りを感謝します。

10月、3回目の治療を行いました。
抗がん剤の量を減らしたので、副作用はほとんどなくて2週間で退院できました。
悪性リンパ腫に対する抗がん剤治療は3回でひとまず終わりました。

11月、放射線治療を17回 受けました。
左鼻から左眼にかけて、そして 頸部に照射しました。
1回15分。月曜~金曜、毎日 通いました。

副作用は治療が終わった11月末頃から出始めました。
のどの奥(食道)のただれがいちばんひどく、ほとんど食事が摂れなくなりました。
アズノール液うがい薬と、アルロイドG内用液5%という食道のただれを抑える薬が処方されました。
体重の減少および脱水症状により、末梢静脈栄養「ビーフリード輸液」の点滴をしました。

のどのただれは3週間ほどで治るとのことなので、 徐々に食べる量が増えていくと思います。
左目の回りもただれて痛いとのことで、保湿する目薬が処方されました。
白内障に必ずなるそうです。

来年1月、呼吸器内科の受診をして、肺がんに対する抗がん剤治療が始まります。

11月・12月は主日礼拝に参加できました。クリスマス特別集会にも参加できそうです。
みなさんも各地のクリスマス会で、イエスさまの御降誕をいっしょにお祝いしましょう(^^♪

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
Ⅱコリント 12章9節「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

ことしは母の闘病でたいへんな一年でしたが、どうにかここまで来た!という気がしている今日この頃です。
父が亡くなってからは、母と2人きりの家族。
伯母も県内に居ますがご自身の体調のこともあり、従弟の仕事に合わせて見舞いに来てくれます。
付き添いや精神面のことで不安なときも多かったです。
この御言葉に励まされ、イエスさまのお導きとお守りを信じて 肺がん治療も母を支えて乗り越えられますように。

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