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2024年5月16日 (木)

神様に賛美

こんにちは。体調は守られていますか。

5月12日の「心に残っている御言葉」でお話しした内容を掲載します。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
詩編 51編17節「主よ、わたしの唇を開いてください この口はあなたの賛美を歌います。」

胸水の関係で会場で賛美するときは、息が続かなかったり、咳が出たりするので、いつも小さい声になっていました。それでも会場で参加できていた時は小さい声なりに賛美したり、手話賛美したりしていたのですが、ステロイド治療のためスカイプでの参加となり、2年が経ってしまいました。

今年始めの咳喘息のあと胸水が増え、お腹の不調も続き、2月3月は気持ち的に沈んでいました。
イースター特別集会が近づいた頃に「葉瑠☆友幸も賛美したいけれど、会場にまだまだ行けない。」と武米姉に話していたら、「あなたの録音に合わせて、賛美するよ」と言ってくださいました。FS姉も「加わりたい。」と言ってくださり、「天なる喜び」を3節まですべて賛美することができました。神様へ向かって一緒に賛美できたことに感謝です。録音した葉瑠☆友幸の声が小さくて、お二人に迷惑をかけ、司会者にもお手間をおかけしましたが、録音方法をいろいろ試しつつ、また共に賛美したいです。

録音という方法にすると、息継ぎの音が入っていたり咳で中断したりしても何回も練習ができ、いまどのように歌えているか、声量がなく音を伸ばせていないところなども分かるので、これからも録音しながら賛美したいと思います。何度も録音を繰り返しながら練習して、すこし息切れが軽くなった気がしていたところ、イースターのすぐあとの4月4日の診察では、胸水の量は700mlから600mlぐらいに、やや減っているとのことでした。話をするときと、歌うときとは、声の出し方が違い、大声で賛美することはできないですが、免疫力を上げるためにも息切れを軽くしていくためにも、無理のない音域に合わせていろんな曲を賛美していきたいと思います。

集会の武米姉がイラストを描いてくださったので、葉瑠☆友幸が撮影した四季の花々、それに楽しく賛美しながら出かけているイメージを書いてみました。

近況報告です。
前回のブログ~4月末まで、あいかわらず軟便・下痢が続いていました。

4月3日大学病院の採血結果で、貧血の項目(ヘモグロビン値、ヘマトクリット値、MCV、MCH)が4つとも低く、ヘモグロビン値が9.6(正常値11.5~15.0)でした。
血清鉄やトランスフェリンなどをかかりつけ医で追加採血しました。
鉄欠乏性貧血です。そのときのヘモグロビン値は8.2血清鉄が7(正常値48~170)。トランスフェリンは正常値でした。いままでもヘモグロビン値など低かったのですが、今回はさらに低下したようです。
貧血の症状…
めまい=ありませんでした。
息切れ、胸水、浮腫=蛋白漏出性胃腸症の症状と重複していて、これらはずっとあるので、どちらが原因か分かりませんね。
鉄分の注射「フェジン静注40mg 2ml+ぶどう糖注20% 20ml」を3回しました。
かかりつけ医でのアルブミン点滴と同じ日に、静脈ポートからしてもらえました。あとは様子を見ます。続け過ぎると、肝機能が上がるとのことです。
内服に変えるとの話もありましたが、ステロイド内服の期間が長いので、胃もただれているかもしれないので、不足のときは注射で補っていきます。
次回、5月29日の結果を見て、さらに注射するかどうかは決まります。

鉄を摂る食材はいろいろあると思いますが、軟便・下痢状態だったため、「鉄+コラーゲン」のウエハースを1日2枚、食べるようにしました。人からの勧めで、もろみ酢も1日30ml飲むようになりました。

散歩途中で止まらずに、遠くまで歩けるようになりました。
5月の始めごろより、お腹の不調が改善されました。9ヶ月、ながかった~。
今月は、11日に3回(やや軟便→軟便→下痢)不調だっただけで、あとの日は1日1回、普通便です。
徐々に食事療法のメニューに戻れるようにしていきたいと思います。

鉄分補給、もろみ酢、賛美による免疫力アップ…どれが効いたのか、先生も葉瑠☆友幸もよく分からない『???』。

ホームページも公開一年が過ぎました。
食事ページを更新しようと、パソコン作業中。楽しみにしていてください。

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2024年1月31日 (水)

家族の歴史

石川県能登半島地震で亡くなられた方(石川県238名)のご家族の皆様に、神様の慰め励ましがありますように。

13秒差でマグニチュード7.3相当が2回発生した可能性があるとのニュースを見ました。
まだ余震が続いています。被災された方々の不安がひとつずつ取り除かれていきますように。

集団避難をされた中学生の皆様が、一緒に避難している学生の方々や周りの方々と共に毎日を快適に過ごせますように。今回のことが新しい力となって将来の命の糧となりますように。

避難生活を送られている方々に、災害義援金や救援物資がじゅうぶん行き渡りますように。
コロナ感染症、インフルエンザ、寒さによる不調などから、守られますように。

停電はおおむね復旧したものの、断水は1ヶ月以上続くとのこと。
神様が皆様を顧みて、支えてくださいますように。

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2019年以来、久しぶりの咳喘息による長い体調不良でした。受動喫煙だけが原因だったのかと思うぐらい、久しぶりでした。祖父や妹の召された時期でもあり、いろいろ思い出されました。

祖父との思い出…1970年12月56歳で召されました。
小さかったので、思い出がありません。両親ともに徳島生まれ、徳島育ちですが、葉瑠☆友幸は父の仕事先、大阪で1969年3月に生まれました。
祖父の体調が悪くなり、
父は勤務先の仕事の段取りがあるので、母と共に一足早く徳島へ帰ってきました。
当時は長屋住まい。孫が泣くたびに胃ガンの痛みに耐えながら、屋外で子守をしてくれていたようです。
父と母は、いとこ結婚(*)なので、子どもの時からの交流があり、婿養子に入りましたが、祖父と父との関係は良かったのでしょう。
「(祖父が亡くなる前に)さいごまでみんなの面倒を見ると、おっさんと約束した。」と、父が言っていたのを思い出します。
(*)
父方の祖父と母方の祖父が異母兄弟。異母のふたりも姉妹どうし。父にとって祖父は、義父であり、叔父でもある関係。

との思い出…1973年5月に生まれ、1974年1月8カ月で召されました。
妹のベビーベッドを覗いている葉瑠☆友幸の写真はありますが、妹の顔はハッキリ映っていません。
妹の写真は、看護師さんの手が下から妹の首を支えてくださっているお風呂での写真しかなく、着物を掛けた合成写真が遺影となりました。
母に聞いたところによると、「女の子は、おしっこの出るところとうんちの出るところのあいだに生理の出るところがある。その❝うんちの出るところ(肛門)と生理の出るところ(膣)のあいだに、もうひとつ穴が空いていて、そこから水分などが漏れ出ていた。オムツを替えても替えてもすぐに濡れた状態になっていた。」とのこと。「(赤ちゃんのため)体重が増えたら手術」の予定だったのですが、間に合いませんでした。最期は体内に水分が一滴も残っていない状態だったと聞いています。

いま言えるのは、妹は(はっきり見える形で)穴が空いていて、葉瑠☆友幸は(目に見えませんが)リンパ管形成不全でザル状態。ふたりとも奇形で生まれ、必要なものが漏れ出ている状態ということですね。
(葉瑠☆友幸自身の診断も1989年だったので、1973年当時に診断がついていたかは不明です。)

祖母との思い出…1997年4月80歳で召されました。
1974年頃に市営住宅へ引っ越し~1982年に父の建てた現在の家に引っ越し。脳梗塞で召されるまで、ずっと4人家族。一緒に住んでいました。

母が躁うつ病で状態が悪い時、母に代わって家事を引き受けてくれました。
杢張り(もくはり)の仕事を長年していました。杢張りというのは、接着剤を塗った板に木目となる木を0.2ミリ程度に薄くスライスしたもの(杢・もく)をアイロンで張り付け、美しい木目を表現する技術のことです。祖母の働いていたところは、雇い主の大将と二人で、鏡台に杢張りをしていました。働いている所へ学校帰りなどに度々お邪魔した時、「良い時に来た。抜いて!」と祖母に言われ、作業中に指に刺さったトゲを針とピンセットで抜いていました。
家ではオセロゲームや、花札などをして遊びました。孫のジグソーパズルに、まったく合っていないところにピースを埋めて、「できたよ。」と言っていたのを思い出します。
葉瑠☆友幸が風邪の時も食事を摂っているのを見て、感心したように「すごいな。きちんと食べて。」と言ってくれていたのを思い出します。

との思い出…2011年5月66歳で召されました。
祖母、父、母、葉瑠☆友幸で旅行に行ったことが、良い思い出です。
思い立ったら即実行で、ゴールデンウイークの初日に突然「行こう!」ということになり、母や祖母が準備に大慌てでした。急いで炊飯器からご飯を出して、お握りにしていました。泊まるところも予約していないので、レンタカーを借り、運転する父以外は、倒した後部座席で寝ながら移動という日もありました。父しか運転できないのに、「次は〇〇行くか? もうちょっと足伸ばして〇〇行くか?」よほど運転や旅行が好きだったのでしょう。葉瑠☆友幸が「〇〇と書いてあるのが見えたら、言えよ。」との父の指示を受け、助手席で地図を見ながら、道路標識を見ながら、合図していました。
父は出張先で指を怪我した時も、救急車の要請が1台で済むように、応急処置だけで、淡路島~大鳴門橋を下りたところまでトラックを運転してきて、鳴門ICで救急車を呼んだようです。トラックは会社の人が取りに行ってくれましたが、高速道路の代金を負担しなくて済むようにと配慮していたようです。あとで聞いて驚きました。機械の試運転中に巻き込まれ、足で蹴飛ばして機械を止め、指はあとすこしで切断かもというほど皮膚がめくれあがっていました。太ももの皮膚を移植したように記憶しています。
葉瑠☆友幸が蛋白漏出性胃腸症の病気を疑われたとき(診断前・帰りの車内で)、「血が濃いとか関係あるのかなぁ(?)」とポツリと父が小声で言ったのが聞こえました。医者には聞いていないと思います。葉瑠☆友幸自身は、二人がいとこ結婚であることは知っていましたが、「いまさら、そんなこと言っても、過去(生まれる前)に戻ることはできない。」と思ったぐらいで、両親が結婚したことが悪いと思ったことはありません。葉瑠☆友幸も両親も、面と向かっては何も言いませんでした。

いとこ結婚・血が濃い云々、および病気との因果関係については、実際に検査をしたり、なにか書物などを調べたりしたわけではありません。「父や母が気にしていた」というだけで、根拠はありません。出生時のデータもありませんし、今後も調べる気持ちも方法もありません。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
エフェソ4章7節「わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。」
ヨハネ9章3節「イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」」

との思い出…2020年2月73歳で召されました。
葉瑠☆友幸が入院した時、母のハイヒールで歩く足音が待ち遠しかったです。病院の廊下によく響いていました。
母の闘病中に通院に付き合った日は、
バスの時間まで1時間ほど待つあいだに敷地内の喫茶室でお昼を食べ、30分かけて駅まで帰ってくると、そごうの地下でホットコーヒーを飲んで、そして家近くまでまたバスに乗って帰ったことを思い出します。精神科に入院時も、その喫茶室まで家族同伴での外出許可が下りたとき、葉瑠☆友幸が病室へ着くより先に「たこ焼き、食べてもいい?」と主治医に聞いて、オッケーをもらっていたのが良い思い出です。
母はドライヤーが苦手で、家では自然乾燥。2019年1月の入院時に背中まで伸びていた髪を、院内の美容院で肩ぐらいまでカットしました。同年3月の入院時は、母の髪を葉瑠☆友幸がドライヤーで乾かしましたが、カットしてくれていたおかげで楽ちんでした。
「〇〇ジュース▲本、コーヒー▲本。」という注文が、スマホの留守番電話の録音に毎日、朝起きてから着くまでにあり、つぎつぎと再生しては、届けていました。口内炎ができたときには、アイスクリームを届けました。食べているときに、看護師さんが入ってきて、「いいもの食べてるね。」と驚いていました。
また入院中にユリの花を折り紙でたくさん折っていたことも思い出されます。手のしびれがなければ、LINEの使い方を教えたかったです。

葉瑠☆友幸が生まれたころから、母が躁うつ病になり、さらに葉瑠☆友幸や妹の病気のこともあり、両親ともに苦労したと思います。けれども、いとこ結婚したことで周りからいろいろ言われたりしても、父は祖父との約束を果たし、家族を守り抜きました。母は自分を責めて心が疲れた時も多かったことと思います。祖母はそんな母をサポートして葉瑠☆友幸の助けとなってくれました。

葉瑠☆友幸には言えないことが、両親や祖母にはあったかもしれません。
両親には言えないことが葉瑠☆友幸にあって、祖母にだけ打ち明けたこともあるかもしれません。
家族の生きている間には気づかなかったけれども、そんな気がしています。

いろいろあるなかで、助け合って、守り育ててくれたのだと思います。
いま生きづらさを感じている方に、身近な関係でなくても、寄り添ってくださる人が与えられますように。

Ⅱコリント12章9~10節「主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。…なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」

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1月6~7日の冬期聖書集会には、スカイプ参加できました。県外から16名の方が来てくださり、徳島聖書キリスト集会の集会場とスカイプの併用で恵まれた集会となりました。
主題「御言葉の飢饉を克服する道」。読書会「アモス書を読む」では、1章から9章まで9名の方が決められた担当箇所について、10分間ずつ、お話しくださいました。そして25分間、吉村さんがまとめとして話されました。
葉瑠☆友幸は咳き込む時期だったので、参加者の名前の返事をするとき、自己紹介のときはどうにか言えたのですが、感話は「次の方へ、お願いします。」となりました。
感話の時のタイムキーパーも、録音で「時間です。」と言わせていただきました。しかし画面越しに多くの恵みをいただくことができました。

アモス書8章11~12節「見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。人々は海から海へと巡り 北から東へとよろめき歩いて 主の言葉を探し求めるが 見いだすことはできない。」

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今月22日頃から、またお腹の不調が再発しました。水様便まではいかないのですが、軟便。
トイレに行きたいと思ったら、もう待ったなし!という感じです。
きょう、大学病院の消化器内科の診察で、年末からの経過(咳喘息、下痢)を説明。
どうやらずっと下痢が続いていたところへ、咳喘息になり細菌感染を抑えるため抗生剤レボフロキサシン錠 500mgを7日間服用したために、腸内の善い菌(善玉菌)まで一掃されたみたいです。「しばらくかかるね。」とのことでした。先週、大学病院の消化器内科でしていた、便の細菌検査は異常ありませんでした。
整腸剤ミヤBM錠
 毎食後・
1回1錠を処方してもらいました。薬の名前に聞き覚えがあると思ったら、母も抗がん剤治療による下痢の時、服用していました。
以前にも同じようなことがあったようで、2015年5月9日の記事に書いてました。抗菌剤ジェニナック錠という薬の時も、食事のたびに軟便に悩まされたようです。

咳喘息の症状は、昨年12月26日から4週間かかって、やっと治りました。
胸水からか、咳喘息の後遺症(?)か、外を歩いていると、なぜか息苦しさを感じます。
そんなとき、立ち止まって空を見ると、明るいお月さん、きれいな夕焼け、そばには木星、知らぬ間に鳶(とび)まで。
(*^_^*) 休憩しながら、パチリと撮影タイム。
息苦しさの原因は、次回大学病院の呼吸器内科の診察日の2月15日に、レントゲン検査すれば分かると思います。

今回のブログはすこし思い出を書くだけのつもりが、心の内をたくさん書いてしまいました。

皆様もお身体ご自愛ください。

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2023年9月30日 (土)

近況、中秋の名月

こんにちは。お久しぶりです。体調は守られていますか?

今年の夏も最高気温35度以上の日が続く猛暑続きでしたね。
10月に入り、清々しい秋の空気に変わるそうです。お身体ご自愛ください。

左腕の前腕部に中心静脈ポートの位置を変更してから、浮腫が続いています。
ポートを入れている左ひじの下部分が外側にぷっくり。
8月中旬ごろまでは、手の甲から肘のあたりまで、ぽってりしてました。アメリカンドッグのよう。

元々、浮腫がある腕に入れたので、ほかの方みたいに、静脈の流れが落ち着いても、浮腫は引かないようですね。
しばらく経過を見てましたが、浮腫のひどい日は、足の浮腫に巻いている弾力包帯を腕にも巻くようにしていました。
両足と左腕、包帯だらけ。夏は半袖にショートパンツなので、見た人はびっくりしますね。
「骨折??」両足の骨折だと、ふつうに歩けないと思いますが、驚いて、言葉が見つからなかったのかもしれません。

中心静脈ポートから採血ができない状態です。採血は末梢血管から、右手の甲の血管から採取してもらうしかありません。
押せるけれど引けない。引いても血の戻りがない。アルブミン点滴のときは使えます

葉瑠☆友幸は、甲状腺機能低下症があるので、若いころは、ほとんど汗をかかず、冷房の部屋に入るには長袖を羽織るほどでした。しかし、猛暑日がつづくようになった5年ほど前から、葉瑠☆友幸も汗をかくようになり、母が驚いてました。
エアコンも必要になりました。設定は「除湿、弱風、29~30度」
冷房や、それより低い設定だと寒く感じます。寝る時は、扇風機の「弱風」で就寝。
どんなに暑くても、冷たい飲食物は摂りません。すべて温かいものか、常温でいただきます。
冷たい果物を誰かにいただいて食べる時は、レンジでチンします。
アイスクリームや冷たい飲み物は「蛋白漏出性胃腸症」が診断された、20歳以降は摂らないようにしています。

にもかかわらず、お盆の頃から、下痢が続いています。水様便だったり、細い便だったり、やわらかい半固形状の便でした。
検便の検査で、異常はありませんでした。時々言われる、過敏性腸症候群の症状ということです。
様子を見ていたのですが、1日に2~3回、続く時もあります。トイレから数十分でられなかったり。。。
おならが続いて、お腹が痛くなり、トイレへ行くと下痢。でも排便の後は、腹痛は治まります。
頓服「ロペラミド塩酸塩」を処方してもらいました。

一週間に3回ほど、それを服用しましたが、あいかわらず下痢が続いています。
9月16日に「イリボーOD錠2.5μg」朝食後1錠を処方してもらいました。

イリボーは、以前に服用したことがあった気がして、お薬手帳を調べてみたところ、2016年に処方されていました。そのときは、朝・夕食後に各1錠、5/20~8/26の処方でした。3ヶ月間も服用したのですね。
(当ブログでは、2017年1月12日の記事に、書いています。)
蛋白漏出性胃腸症は、便に栄養が漏出する病気なので、はやく治りたいです。

 

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
Ⅱコリント4章18節「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」

そんな体調に不満ばかり言っている葉瑠☆友幸ですが、多くの人に助けられて守られています。
礼拝・家庭集会にすべてオンライン参加。10月9日(月)には祈りの友合同集会にオンライン参加します。接続を担当してくださる方々に感謝です。
外来患者として、かかりつけ医や看護師さん、医療事務員さん、薬剤師さんにお世話になっています。

大学病院では主治医の先生方がグループで治療方針を立てて、診てくださっています。
アルブミン点滴やその他の薬を製薬会社の方々が研究・製造してくださっています。
毎日の生活は、スーパーで働く方はもちろん、農家や漁業の方々、電力や水道、インターネットなどライフラインも各会社の方々により保たれています。

採血するたびに、総蛋白もアルブミンも免疫グロブリンも値が低いままと言いながらも、自宅療養でいられる。右側の胸水貯留もあいかわらず同じ量続いていますが、抜くほどではなく、ステロイドホルモン剤もおなじ量で継続治療で、落ち着いている。それらは神様の恵みであり、信仰の友の祈りの力だと、感謝しています。

目に見える身近なものばかりに気持ちを向けないで、神様や周りの多くの人からの恵みに気持ちを向けつつ、感謝して共に御国を目指して歩めますように。

 

目に見えない神様の恵みを、目に見える形で受け取ることができました。
中秋の名月と、満月が同じ日になるのは、7年後とのこと。
2階の部屋から、お隣の屋根越しに、明るく見えました。

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2023年4月10日 (月)

イースター特別集会と近況報告

こんにちは。体調は守られていますか。

昨日は各地の教会でイースター礼拝、イエス様の復活を祝われたと思います。おめでとうございます。

葉瑠☆友幸もオンライン参加でしたが、徳島聖書キリスト集会の兄弟姉妹、県外の兄弟姉妹とともに祝うことができました。
会場には11名、Skypeでは51名 参加でした。

主にある姉妹お二人の証し、集会の姉妹と義姉とのデュエット、感話の中でも数名の方が賛美をしてくださいました。
神様に感謝をささげる感話会。約3時間30分の集まりでした。

講話はヨブ記を中心に「復活に至らせるもの」と題してお話してくださいました。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
ヨブ記 42章
1・2節「ヨブは主に答えて言った。あなたは全能であり御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
5節「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。」

1月のポート埋め込み時から左腕の浮腫は続いています。
3月下旬から右腕の浮腫も強くなり、握ると手首や指に痛みがあります。
カロナール200mg 1回2錠を処方。3日間、昼頃に1回ずつ服用後、痛みは治まりました。

右側の胸水は、3月30日の診察で、CT検査の結果、前回(昨年7月)より100mlぐらい増えている
胸水により圧迫され、肺がしぼんだままのところが無気肺になっているとのこと。
2月のレントゲンでふたたび説明され、CTでも確認できました。
胸水がある限り、無気肺もなくならないようです。

ステロイドホルモン剤:プレドニゾロンの量が1日5mg服用になりました。
昨年10月21日から1日4mgでしたので、3mgに減量されるかと楽しみにしてましたが、逆に増えてしまいました。

気持ちが落ち込むばかりでしたが、暖かくなってきたので、すこし散歩をしました。
30分程度、歩数にして、買い物なども含めて3000歩。
スマホの歩数計を目安にしているので、出かけているあいだの合計目標です。
あちらこちらで花の写真を写させていただいてます。お手入れしてくださっている方々に感謝です。

自分の持病のことばかりに目を向けて愚痴ってばかりいましたが、今日のお話のヨブのように、神様に目を向けて、神の声を聞いて過ごすことの大切さを思いました。

昨年の入院時に「休憩しつつ歩くように」と言われていたのを思い出し、3月下旬の夕方、散歩の途中の公園でベンチに座りました。
もう桜も終わりかな~と思いつつ、ベンチの上の桜を見上げて撮影。狙っていなかったのに、真ん中にお月さま。
時間がずれても、場所がずれても、撮れなかった一枚。神様の業。恵みに感謝!です。

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2022年4月29日 (金)

入院していました。-右側の胸水貯留

こんにちは。体調は守られていますか。

1997年8月〜1998年2月
葉瑠☆友幸が胸水を気にし始めたのは、徳島大学病院の消化器内科に入院時です。
そのときは症状はなく、レントゲン検査をして、見つかりました。

蛋白漏出性胃腸症の症状のひとつでもあるので、5ヶ月かけて治療方針の見直しなどしていただきました。
ふりかえると、すべてこのときに検査したことが比較対象となり、この病気について教えていただいたことが持病に対する知識であったり、向き合い方の基本になっています。その当時の主治医を思い出しながら、感謝しています。

2002年春頃
ながく咳が続き、横になって寝られず、座って寝ていました。
徳島大学病院の呼吸器内科へ7月に入院。
左側の胸水貯留が1997年時の3倍みられ、1,030ml、胸腔ドレーンを用いて抜きました。
しかし次のレントゲン検査時には再び貯留しているのがみられ、そのとき胸膜癒着術をしました。
胸水の溜まる位置である、壁側胸膜と臓側胸膜を癒着させる処置です。
このときは、薬剤は使わず、全身麻酔による外科手術で、傷を入れて自然にくっつく方法をとりました。
入院中に外科も含め計3回、胸腔ドレーンによる治療をしました。
この処置のおかげで、左側には徐々に溜まらなくなりました。
そのときに咳喘息を発症したこともあり、半年ごとに胸部レントゲン検査と徳島大学病院の呼吸器内科を受診して、喘息と胸水の経過観察を継続していました。

2009年9月ごろから
右側の胸水貯留が見られるようになりました。
ずっと貯留がみられるものの、抜くほどの量ではないとのことで、安心してました。

今年1月27日から
10分の距離を散歩するのに息が上がる(息切れする)ようになり、休み休み歩くようになりました。

「脂肪肝がついてきたので歩いてね。」といわれ、年末年始の暖かい日は30分くらい、スマホアプリを見ながら、散歩してました。
咳喘息が起きているわけでもなく、とくに無理をしたというわけでもなかったと自分では思ってました。
翌日がアルブミン点滴の日だったので、近くのかかりつけ病院に行きました。
咳・痰・発熱・のどの痛みなど、咳喘息の症状はありませんでしたが、念の為、咳喘息の内服を続けました。
1週間たっても、息切れは改善されませんでした。

翌週2月4日、徳島大学病院の呼吸器内科を臨時受診。右側の胸水貯留がレントゲンを見たところ、ずっと3分の1くらいだったのが、2分の1くらいまでに増えていました。

翌週10日、外来で胸膜穿刺により、胸水を 1,400ml、抜きました。外来での検査だけでは原因の確定診断ができず、入院が決まり、部屋が空くのを待ってました。

3月10日から4月7日まで入院しました。

3月10日のレントゲンでも胸水貯留の増加が見られたので、胸膜穿刺にて、900ml、抜きました。
3月16日にも胸水のない状態で肺機能検査をするために、胸膜穿刺にて、950ml、抜きました。

最初の2週間は、数々の検査、採血検査、胸水の検査で原因究明をすすめていました。
おなじ病気といっても原因は様々で、治療も様々。経過も様々。
どんな病気も原因特定が重要で、治療方針の決定まで複雑なのは素人でも分かります。
症例の多いものは他の方の症例を参考にして治療方針も決められる。
葉瑠☆友幸の「リンパ管拡張症」「蛋白漏出性胃腸症」となると、他の症例がなくて、治療方針が決まるまで時間がかかりました。
病名はちがうけれどよく似た症状の症例を参考にされて、治療方針が決められました。

葉瑠☆友幸の症状の一つである「低アルブミン血症」が原因の漏出性胸水かと思われていましたが、胸水の検査によれば、滲出性胸水を示している。「蛋白漏出性胃腸症」が原因の滲出性胸水との診断に至りました。
2002年の左側の胸水では、検査しても確定できませんでしたが、2002年の検査結果と今回の検査結果を総合して、確定に至りました。

呼吸器内科から提示された「胸膜から腹膜へ誘導するポートの埋込」(腹膜のほうが吸収が良い)
⇒⇒呼吸器外科によると、「ポートの入れ替えのための再手術をくりかえします。免疫低下もあるため、患者の負担が大きい。」とのことでした。

呼吸器外科による診察「左側の胸膜癒着術から20年経過、そのあいだトラブルがなかったので、おなじようにする。」との話。
⇒⇒呼吸器内科によると、「左右の胸膜を癒着すると、将来 肺に大きな病気が見つかった場合、逃げ道がなくなる。いまはしないほうが良い」とのこと。

ステロイドホルモン剤「プレドニゾロン錠5mg」の内服治療をすることになりました。
3月24日昼から4月6日昼、朝食後2錠・昼食後2錠 20mg 13日間 服用し始めました。
4月6日昼から4月20日朝、朝食後2錠、昼食後1錠 15mg 14日間 服用になりました。
4月21日から5月4日、朝食後2錠 10mg 14日間 服用になりました。

いつまでステロイドホルモン剤を内服するかは、外来で調整。
2週間~1ヶ月ごとに診察。胸部レントゲンを撮り、胸水貯留の量を観察していきます。

5月5日から 朝食後1.5錠 7.5mg 服用になります。

今後の治療方針。。。
中心静脈ポートからのアルブミン点滴を継続(末梢血管より吸収が良い)。
利尿剤フロセミド錠5mgを毎日服用(効果が継続)。
ステロイドホルモン剤「プレドニゾロン錠5mg」の内服治療。
胸水貯留によって症状が増悪すれば、胸膜穿刺により胸水を抜く。

息苦しいなど症状のある時のため、酸素濃度計(パルスオキシメーター)を自宅にも常備しました。
入院してからも、ステロイドホルモン剤を始めるまでは、息切れが続いていました。
リハビリの先生と、酸素を図りながら、病棟内を散歩。
息切れの時の対処法(口すぼめ呼吸)などを教わりました。

 

(左側の胸水貯留した)20年前とくらべて…
 胸腔ドレナージでなく、胸膜穿刺で胸水を抜くことができたのは、楽でした。
 ずっとドレーンを入れておくのは、違和感があり、苦痛でした。
 医療技術の進歩に感謝します。

 25年前に5か月入院した時に、ステロイドホルモン剤の治療の話は出ていました。
 しかし、ほかの方のデータがないので、患者側の決定にゆだねられました。
 効果が分からない状況で、副作用も多いので、お断りしました。
 (家族と相談。ひとりでも反対者がいれば、辞退で構わないとのことでした。)
 今回、25年の時を経て、ステロイドホルモン剤の治療を始めることになりました。
 25年経っても、治療法は進歩していない。患者数も増えていない。ということを知ることができました。
 ※ 副作用はプレドニゾロン25mg以下の場合は、少ないそうです。
 葉瑠☆友幸は、免疫低下もあるので、20mgから始めています。
 あとは長期にわたって服用するので、注意が必要です。

今回は、気持ちがざわざわするほど、びっくりし、動揺する出来事でした。
退院してからも、1週間ぐらい、気持ちが落ち着かない日々でした。

ステロイドホルモン剤の副作用か、退院の前日ぐらいから気分は高ぶり、ハイテンション。
話し過ぎ・動き過ぎ。ふだんの葉瑠☆友幸のスピードより高速仕様になってました。

今週になり、ようやく落ち着いてきました。先週の疲れ(?)で、眠くてしようがありません。

父母が召された今、入院して思ったことは…
 父母がガン闘病中に重ならなくて よかった。
 別々に居て、会えない状態で、母に精神的負担をかけなくて よかった。
 母がひとりで家に居ることになり、家事の負担をかけなくて よかった。
 そしてなにより、信仰に導かれていて、よかったです。

コロナ感染症から、守られますように。

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2021年1月16日 (土)

神さまの「区別」

こんにちは。体調は守られていますか。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
エフェソ 6章6~9節「…キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。」

「人を分け隔てしない。」…【差別】とは、男女、民族、生まれ、経済的能力、知的能力、健康、病弱、体の障がい、年齢、学歴などによって人をより低く見なしたり、見下し、地位や待遇などにおいて不当な対処、言動をすること。【区別】とは、必要があって 身体の状態、年齢に応じて分けること。
神さまは【差別】はしないが、【区別】はされる。それが神さまの【選び】ということです。
神のご計画によって”一人一人を区別”して、意味を持って、神さまが”一人一人にできること・できないことを与えられて”造られました。

ローマ 3章22節「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。」

ローマ 10章12節「ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。」

葉瑠☆友幸の病気「リンパ管拡張症による蛋白漏出性胃腸症」は患者数が少ないです。
「蛋白漏出性胃腸症」の患者は多いですが、「リンパ管拡張症による」患者は稀です。
国家試験のため勉強はされていても、お医者さんも実際に患者を診ることは少ないと聞きました。
なので、いろんな人に持病の説明をする機会が多いです。口で言うにしても、文章で書くにしても、むつかしいです。
主にある兄弟姉妹も説明に耳を傾け、たいへんな時に手を差しのべて下さいます。
しかし病気のことを周りに隠さなければ【差別】を受ける環境にいる人は、葉瑠☆友幸には想像できないぐらい過酷な状況にあると思います。
差別が怖くて、病院に行けない。困難な状況に陥っても、周りに助けを求められない。コロナ禍でも生じています。
つらい。くるしい。いたい。かなしい。たすけて。と、すぐに声を上げられる環境になりますように。
どうか神さまが顧みてくださり、差別が無くなりますように。

葉瑠☆友幸が30歳代前半は、人との【区別】に悩んでいました。
高校卒業後、縫製工場に勤務。足の浮腫により20歳で退職。
そのあとパソコン/ワープロ検定の資格取得の期間を経て、データ入力会社で22歳から29歳まで働きました。
自分は「働かない」のか、それとも「働けない」のか、と悩んでしまった時期に、主治医に確認したことがあります。
「働けない。胸水を貯めないように。」との答えで、誰かと比較すると言うより、『以前は残業もするほど働けたのに。』と昔の自分と比較して、自分を卑下してばかりでした。
葉瑠☆友幸は、障がい者でもないし、難病指定でもありません。支援してもらえる状況にありません。

週に1回、アルブミン点滴をしていて、健康な人間ではありません。しかし症状のない時は「げんき」な患者です。
ひとたび体調を崩すと、3週間ぐらい長引くので、「無理しないでね。」と言われる身体です。
感染症など重症リスクの項目に当てはまるか、区別するべき状況になると、自覚することになります。
持病の把握がはっきりできていないのかもしれませんね。
※2009年、新型インフルエンザワクチンのときは、大学病院の主治医の判断で、優先接種の対象となりました。
基礎疾患を持つ(甲状腺機能低下症(橋本病))、呼吸器疾患を持つ(咳喘息)、免疫力が低下(蛋白漏出性胃腸症の症状の一つ)

それぞれの人に与えられた仕事がある。
…神さまに用いられるために与えられた賜物=タラントです。集会の兄弟姉妹を見ても分かります。

視覚障がいの兄弟姉妹は、オカリナ演奏やデュエット、コーラス、ギター賛美で楽しませてくださいます。
聴覚障がいの兄弟姉妹は、早く来て、集会場のお花をいつも備えてくださり、席や本の準備などのご奉仕をしてくださっています。
肢体障がいの兄は、伴奏入力でご愛労くださいました。その数は12,600曲余りです。

葉瑠☆友幸は、資格取得のために31年前に始めたパソコンが、神さまの奉仕に役立てられています。
当時は高価であったパソコンを与えてくれた父にも感謝しています。(高校のときはワープロでした。)
そしていま Skypeの接続やコメント欄に歌詞を貼り付けるお手伝いにより、主にある兄弟姉妹との交わりも増えました。
スカイプのみの集会では、みんなで賛美することができないので、事前に用意された賛美データを再生しています。
礼拝CDより切り取り準備するお手伝いにより、母の死からあとすこしで11ヶ月ですが、励まし慰められています。
いろいろバタバタとしているうちに、昨年は過ぎていった。恵みのうちに終わったという感じです。
自分にできないことでなく、できることを感謝して行うことが神さまの【選び】に答えることだと思います。

以前にも書きましたが、母が召された日が2月22日土曜日でコロナ感染症の流行直前であったこと、3月のうちにスムーズに各種手続きが終えられたこと、4月から集会のために時間が有効に使えるようになったこと「神さまのご計画」であり、すべて神さまが最善の道を備えてくださったのだと感謝しています。
母が大学病院または健生病院に入院中、その後に居宅支援施設への入所していたならば、母はうつ状態になっていたでしょう。
葉瑠☆友幸も母の精神状態が心配で、落ち着いて集会に参加できなかったと思います。

主日礼拝のホストをKS兄とKK姉と3人で担当していますが、40人超えるときもあります。
ともに賛美し、御言葉を聞く時が与えられ感謝です。
ことしに入ってからも 元旦礼拝、主日礼拝、各家庭集会、冬期聖書集会に参加できました。

霊肉共に守り、支えてくださっている神さまに感謝です。

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2017年8月12日 (土)

腎臓内科を受診しました

霊肉ともに守られていますか。
葉瑠☆友幸は浮腫にお手上げで愚痴ばかりになっていました。

6月の記事に書いた状況が続いていましたので、家庭医の先生に無理を言って大学病院の腎臓内科を受診しました。
血液検査・尿検査・胸部レントゲン・腹部エコーの検査をしました。
結果 腎臓は異常なし。 やはり低アルブミンによるもの。
食事療法を守り、アルブミン値を上げることです。
6月から急に浮腫がひどくなっていたので、ドキドキでしたが、新たな病や治療が増えないに越したことはないですね。

8月2日は点滴だけだったのですが、大学病院の消化器内科の主治医が診察してくださいました。
葉瑠☆友幸にも理解できるように、タオルを例えに説明してくださいました。
(録音やメモはしていないので、間違っていたらすみません。)

アルブミン値が高いと、水分は血管内に溜まり、尿となって排出される。
→タオルに水がじゅうぶん含まれていて、絞ることができる。

アルブミン値が低いと、水分は血管の外に溜まり、浮腫となる。
→タオルをいくら絞っても水は出ない。

腎臓そのものは悪くないので、量を調節して排出できている。
→じゅうぶんタオルを絞る力はある。無理に出そうとすると脱水となる。

利尿剤の強いのを使い、体内のバランスを崩してしまうと、かえって大変なことになる。

いまは アルブミン点滴のあとに利尿剤ラシックスを静脈注射して、様子を見ることになりました。
3回 その方法でしています。注射して30分後~1時間後ぐらい、3~4回は効果があるようです。
ここ2週間のうちに3キロぐらい体重は減り、すこし足の浮腫が楽になりました。

☆●□◆▲▽★○■◇☆●□◆▲▽★○■◇☆●□◆▲▽★○■◇

自分の病気を知る!
いろんな人に説明をする必要もあり それは大切なことです。

でも右側の胸水が溜まったり、浮腫の部位が増えたりして、いつしか「頑張っても仕方ない」と、(食事療法)という治療を自分から放棄してしまいました。
「しなければならない」と思いつつ、「やっぱりできなかった」と言い訳してのくりかえしで、いまの身体ができました。
アルブミン点滴 + 成分栄養剤 + 霊の糧 だけで、守られていました。
ようやく食事療法を再開する気持ちになれました。
食事は皆さんが気を付けていることなのに、几帳面すぎて 面倒になってしまったかもしれません。

このような内容ばかりで失礼しました。
精神的・霊的には守られ、明るく元気にしております。

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2017年6月29日 (木)

足の浮腫

ご無沙汰しております。体調は守られていますか。
葉瑠☆友幸は 今月は浮腫がひどくなりました。

いつも礼拝に参加すると、座布団にペタンコ座りをするのですが、浮腫がひどくて、いつものようには座れませんでした。
もう一枚、座布団をお借りして、机の下に足を投げ出させてもらいました。

集会場では椅子(ミニ折りたたみローチェア)に座る人と座布団に座る人がいて、お一人お一人が楽な姿勢で学べるようになっています。
同じ座り方が苦痛な人は2時間のあいだにその場で椅子に座ったり、座布団に座ったりと移動している人もいます。

葉瑠☆友幸の場合は、椅子に長時間座っていると浮腫が増すので、座布団に座っていました。

25日の礼拝では、集会の姉妹の助言で 窓際に収納を兼ねた座席があるのですが、そこにピアノの椅子を並べて座り、伴奏のときは机にして、講話のときは足を投げ出させてもらいました。後ろが壁なので背もたれになります。ずっと同じ姿勢でないので、その方法がいいかもしれませんね。

今年は雨が降らない空梅雨だからか、5月30日ごろと6月4日ごろに発疹が出てしまいました。
最高気温28度だと蒸れますね。
そのころから浮腫のひどい状態がずっと続いて、太ももから足首まで同じ太さ?というような状態でした。
体重も3kg増加です。

利尿剤ラシックスを処方されました。しかし以前ほど、効果がなかった気がします。

以前は服用して30分後ぐらいに、トイレに走っていき、4~5回ぐらい「トイレ‼トイレ‼」と落ち着かないほどだったのに、今月は「あれ?飲んだよね?」というような感じ。

家庭集会はすこし休んでしまったけれど、礼拝には参加できました。神さまに感謝です。

ストレッチの方法をいつも鍼治療の先生(集会の姉妹)に教わっています。
また食事のこともいろいろ、集会の複数の姉妹がアドバイスしてくださっています。主にある交わりに感謝です。

弾性包帯の巻き方を復習するためにネット検索をしていましたが、ガン治療後の方と違い、葉瑠☆友幸は全身性なので、ちょっと難しいですね。いまさらながら、この身体を持て余しています。

つづけて ネット検索・手持ちの資料を読み直して、持病について書いています。

カテゴリーを「持病のページ」と「持病の説明」に分けました。

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2017年1月12日 (木)

昨年は何してた? スミマセン!!

1年と10日ぶりの こんにちは! 体調は守られていますか。
昨年は何してた? ということで、過ぎし1年をふりかえってみたいと思います。

1月~5月。。。
Windows 7 のノートパソコンはstarter。これは持ち運ぶために軽いのを選びました。
Windows Vistaのノートパソコンと、用途に合わせて 2台で作業していました。
全国集会に向けて準備の手伝いなどをしながら、Vistaのサポートが切れることもあり
近くの電器店の商品を見て、ネットでも調べながら いろいろリサーチしていました。

5月14日・15日。。。
徳島でのキリスト教全国集会
証し、感話、聖書講話。今回も兄弟姉妹のお話から 聖霊を受けることができました。
タイムキーパーに、手話賛美。楽しんでできました。
140名あまりの方が参加してくださいました。
賛美歌も多く歌いました♬
みなさんからの参加申込をお受けできたことも、感謝です。

5月後半。。。
Windows10のノートパソコンを購入。
設定やら、移行やら かなりかかりました。
Picasa Web アルバムもサービスを終了しました。
googleフォトに移行し、ブログにアップするために
写真に「署名」と「テキスト」などをあらためて追加する作業をしました。
いったんパソコンにすべて保存して、googleフォトに自動で移行されていたものを削除。
そのために 当ブログの写真が入っていたところがエラーになってしまいました。
徐々に直していく予定です。
同時に当ブログ内のアルバムの説明も無くしていきます。

7月。。。
Windows 10 のノートパソコン1台でできるようになった時点で、Vistaを廃棄。
Windows 7 のノートパソコンは譲渡しました。
やれやれと思ったら、咳喘息になってしまい、4週間ほどダウン。
礼拝・家庭集会は四週間 休み。

11月後半~12月。。。
右手の人差し指が虫刺されかな?と思ったら→右手の甲全体が痛くなり→

右手の上腕から右手の指先まで赤く熱を帯びて腫れました。痛みもありました。
以前、脚に発症した 丹毒でした。
皮膚の浅いところにできるのが丹毒で、深いところにできるのが蜂窩織炎ですが、区別しないお医者さまもいるそうですね。

今回は全身の熱は出ませんでした。最高36℃。なので外来治療で済みました。
診察日に抗生物質の点滴をして、内服薬を一週間 服用しました。

上昇していたCRP (炎症反応)や白血球も 一週間で落ち着きました。
礼拝・家庭集会は二週間 休み。

12月後半。。。
市民クリスマスには間に合いませんでしたが、集会のクリスマスには間に合いました。
昨年一年間を振り返ってみました。
ブログがアップできない一年でしたが、こんな感じです。
7月と11月の体調不良のとき以外は、守られていました。

新年は 元日から主日礼拝に参加。
「元旦礼拝」は早朝6時30分からなので、早起きのできない葉瑠☆友幸には難しいです。
でも10時30分からの主日礼拝は参加でき、感謝です。

2日・3日と続けて、夕方に恵みがありましたね。
両日ともデジカメでパチリ。
でも3日のほうは、いまいち。アップできず。

そのあとも暖かい日が続いていますので、体調は守られています。
お腹は例年通り、ゆるいかな。
昨年も注腸検査を申し出てみましたが、葉瑠☆友幸の場合は 検査前の下剤により、浮腫が悪化したらそのほうが大変なので、まだ様子を見ていこうとのことです。たぶん過敏性腸症候群だろうとのこと。
5月20日~8月下旬の間、「イリボーOD錠2.5μg」という内服薬を服用しましたが、あまり変化がなく 肝機能と胃の調子が気になったので中止しました。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
詩編 107編6節「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと 主は彼らを苦しみから救ってくださった。」
8節「主に感謝せよ。主は慈しみ深く 人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。」

今年もいろんな問題が生じるかもしれません。病気で苦しむときもあります。
イエスさまはどんなときもずっと、そばにいて支え、救ってくださいます。
神さまの イエスさまの 御業に感謝し、今年もともに歩んでいきましょう。

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2015年5月 9日 (土)

「ことば」の使いかた

こんにちは。体調は守られていますか。

三ヶ月も更新が止まってしまい、失礼しました。
2月、3月は いろいろ考えてしまって、憂鬱になりながらの毎日でした。
これではいけないと思いかけたところ、3月後半は風邪をひいてしまいました。
今回の風邪は喘息発作まではいきませんでした。
抗菌剤ジェニナック錠という薬が、喘息に良いそうで、早めに使ったのが良かったみたいです。
風邪の症状が軽く済んだのは良かったですが、その期間、軟便に悩まされました。
食事のたびに 便をもよおし、出るのは細い便。
けれど これはジェニナック錠の副作用の一つだそうです。
おととい 大学病院呼吸器科の主治医にお尋ねしたところ、「喘息に効果があるので、早めに使って 軽くなれば、薬を変えるのが良い。覚えておいてね。」とのことでした。
10日ほど使って、「軟便で困るから、変えてほしい。」と言ったのは、正解だったみたいです。
三週間ほどひいてましたが、イースター特別集会には参加できました。

そのあとは、なぜか写真の整理にはまり 早や5月。。。ごめんなさい
撮影するだけで、ファイル名をつけていない写真がいっぱい出てきてしまった。。。
せっかくなので、分からないのは撮影日のみをファイル名にして 整理しました。
特別集会の写真も 最近のは整理・印刷できていなかった。
やっぱり 父が亡くなって、呆然としていたのかな?

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
箴言 12章14節「口の言葉が結ぶ実によって 人は良いものに飽き足りる。」

「良いもの」で他の人にも影響を与え 自分も他の人も良いもので満たされます。
イエスさまも「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」(マタイ15章11節)と言われました。
良い言葉を言うためには、良い心を持っている必要があります。

18節「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。」
心を剣のように刺して、深い傷を負わすこともあります。 
英知ある人の言葉は自分も他の人も癒します。いちばん英知ある人がイエスさまです。

19節「真実を語る唇はいつまでも確かなもの。うそをつく舌は一瞬。」
13章 5節「神に従う人は偽りの言葉を憎む。」

「一瞬」=瞬きの間。 「真実を語る唇」=二千年かたく立ち続けてきた。
真実の言葉と、嘘の言葉がもつ時間の差です。
キリスト者は偽りの言葉(嘘)そのものを憎み、決して言わない。 うっかり言いそうなときは、黙っておくことです。
“嘘”とは、真理に反する言葉であり、はっきりとした不正の言葉だからです。

3節「自分の口を警戒する者は命を守る。」

何を語るべきか をよく考え、悪い言葉は心から出るので 心の目をはっきり覚ましておく。
悪い思いをおさえ、祈りの心を持って話すことが大切です。
心の表れが言葉。罪の心から出る言葉は、不正ばかり。
言葉を支配できる人はひとりもいない。だから絶えず気を付ける。
イエスさまが内に深く住んでくださったなら、イエスさまが心を支配し、悪い言葉を使いません。   

腹が立っているときは 自分の感情をそのまま言葉にして、相手に向けてしまいますよね。
言ってしまったあとは、嫌な気分が残ります。

元夫に対してイライラが募っていたとき、裁くような言葉ばかり言っていました。
しかしそんなときでも、プライドを傷付ける言葉、義理の両親まで傷付ける言葉は避けたつもりです。
夫としては不十分でも、一人の人間としての人格まで全否定する必要はないですから。
本人やご両親の前では言えませんでしたが、しつけが不十分でした。
今でも元夫の話になると、こんなところが大変だった、こういうことで迷惑かけられた、という話になってしまいます。
どれもこれもわたしは 子供のときにしつけられていたことばかりです。

わたしにとっては過去のこと。
そう思っても、祖母や両親の次に長く関わった人ですから、エピソードを交えて記事を書こうとすれば、これからも出番があるかもしれません。
悪口は神さまに怒られますね。

悪く思う心がきよめられ、神さまの恵みで満たされますように。
神さまとのエピソードが増えていきますように。
この御言葉の数々を心に深くとどめ、やさしい言葉や態度でまわりに接することができますように。

この黄色のバラは、知り合いの方が「いっぱい咲いているから、写真に撮ったら。」と教えてくれました。

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