痛い目に遭わなければ分からない・・・救急搬送
こんにちは。体調は守られていますか。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
ガラテヤ5章13節「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」
11月17日、寝る前に右足の股関節が痛くて、壁に手をつきながら、休み休み歩く状態でした。
寝返りのたびに痛さを感じながら眠り、起きてからもおなじ痛さでしたが、次第に治まると思っていました。
ずっと立っていられないので、日中は ぶどうパンを食べられただけでした。
夕食はよく行くお店に出前を頼み、(土間におりて玄関の鍵を開けたあと、上がれなかったら困るので)窓から受け取りました。
受け取った後、もう夕方で暗くなってきたので、窓の鍵を閉め、電気をつけ、窓から離れたところにある椅子に座って、いつも行っているかかりつけ医に電話しました。「一晩様子を見て、明日の朝に電話ください。」とのことでした。
そのあと、かかってきた電話に出て、30分ほど話をしていました。
そして、トイレに立とうとしたら、痛さのため右足を椅子から浮かせることができず、立ち上がれなくなりました。
一晩、様子を見ている場合じゃない!! 救急車!!
集会のKKご夫妻に来てもらい、救急車の手配や持ち物の準備などをしてもらうことができました。
電話をしてから、「鍵を開けれない!!」ことに気づき、仕方なく窓を割ってもらいました(泣)
鍵を開けれないと、救急隊員も入れないので、どちらにしろ、割ることになったと思います。
鍵を開けてもらう会社(?)探す時間も、来てもらうまで待つ時間もなくて。
電話していた直後だったので、スマホが手に届く位置にあって良かったです。
(取れないところにあったら、どうなったのだろう。。。。)
すこし右足を動かそうとするだけで「痛い痛い痛い」
トイレの介助を試みてくださった KKご夫妻のサポートにも、救急隊員のサポートにも叫び続け、家ではできませんでした。
救急車の中でも、痛いほうの足が担架から落ち、宙ぶらりんになるたびに、隊員の方に担架の上へ足を戻してもらいました。
いろいろ病気があるので、大学病院で受け入れてくださいました。消化器内科の先生が診たあと、整形の先生も来られました。
救急外来に着いてからも、「痛い痛い痛い」と叫んでいました。ヨシュア兄のおられた整形の病棟へ入院しました。
股関節の炎症により、股関節の中に水が溜まっていたとのことで、10ミリリットルほど水を抜き、輸液の24時間持続点滴、抗生物質「タゾピペ 4.5g 3回/日」や痛み止めの点滴「アセトアミノフェン静注液1000ml 0.5袋」をしました。
入院の日は結局のところ、ぶどうパンしか食べられず、2日目は朝食なし。水分もほとんど摂れませんでした。
歩けない。立てない。のため、尿の管を入れ、オムツ。ベッド上で安静でした。
入院当初は、右足は棒のようで、痛くて寝返りも難しいため、褥瘡予防のために、クッションを当ててくださいました。
2日目の昼頃から、ゆっくりと足を動かすことができるようになりました。しかし、動かしたと思ったら、足がつって、「痛い痛い」と言ってました。水分不足・脱水ですね。
集会の姉妹に、ペットボトルのお茶を買ってきてもらい、なるべく飲むようにしたら、足はつらなくなりました。
3日間の点滴が外れ、採血をした結果、高かった炎症反応が落ち着いてきて、5日間で退院できました。
点滴の外れたあとは、痛み止めの内服「アセトアミノフェン錠200mg 毎食後1錠」を処方されました。
細菌感染ではなく原因は分かりませんが、MRIやCTでも異常は見られませんでした。
パソコンに限らず、何をするにしても、取り掛かるのが遅く、始めると身体を労わることを忘れ、途中で休憩したり、姿勢を変えることなく、区切りがつくまで長々と作業してしまいます。
無理をしているつもりはないのですが、限度が分からず、症状が出てはじめて、し過ぎたことに気づきます。
長く続いているステロイド治療の副作用や免疫力低下、寒暖差も影響があったかもしれませんが、人間には限界があり、先のことは分からないからこそ、悪いところに気づき、改めることが大事だと知らされました。
痛い目に遭わなければわからない葉瑠☆友幸に、気づきを与えてくださいました。
これから数年先も動けるように、適度な時間で休みを取りながら作業していきたいと思います。
退院時はYT姉とTY姉が付き添って荷物を家まで運んでくださいました。
26日~28日までの瀬棚聖書集会に自宅で参加できて感謝です。兄弟姉妹のお祈り、お支えに感謝します。
退院後、出前に来ていただいたお店に支払いに行きました。(財布も取れなかったため)
そこで、いつも親しくお話をしてくださっていた男の方(Oさん)が亡くなられたことを聞きました。
Oさんは、夏ごろに入院するまで、足が痛いと言いながらも、スーパーにも自分で買い物に来ていて、お会いしていました。
いつも近くの銭湯に行った後、葉瑠☆友幸も食べに行く飲食店で、お会いしていました。
退院のあとは、酸素吸入が必要になられたとのことで、最近は会えなくなっていました。
おなじ町内にある市営住宅の4階に住まわれていて、エレベーターはなく、足の調子も良くなかったので、降りてくることができず、介護ヘルパーさんのお世話になっていたようです。
おなじ調剤薬局なので、時々、薬剤師さんからお話を伺っていました。金曜日頃に救急搬送され、急だったようです。11月16日に葬儀だったそうです。
葉瑠☆友幸との交わりを感謝します。甥の方に葬儀の写真を見せていただきました。
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