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2025年12月

2025年12月25日 (木)

クリスマス特別集会ー「私の歩んだ道」

クリスマスから年末、お忙しい毎日、体調は守られていますか。
葉瑠☆友幸は守られています。股関節の痛み、右腕の痛み、ともにいやされました。

21日のクリスマス特別集会。さいごのプログラムで、4名の方が「私の歩んだ道」という内容で、子ども時代から、現在までの主による導きのあとを10分間でお話ししました。

葉瑠☆友幸もその中のひとり。内容は、ブログに書いたことと重複していると思います。

 葉瑠☆友幸)は生まれたときから足の浮腫があり、スカートからどうしても見えるので小中高といじめられていました。話す声も小さく、行動するのも遅くて、ほかの子の後ろからついていくような子でした。いじめはとてもつらかったですが、母は私の1歳の頃から心の病があり、私の妹が8か月で亡くなった時の大きな悲しみを思うと、私までいなくなるわけにはいかない。という思いがずっとありました。

 つぎに 集会に導かれたきっかけを話します。父は、盲学校の教師をしているすぐ上の兄である伯父に、たびたび浮腫のことを相談してくれていました。19歳の頃に平方式で鍼治療をしているMSさんを紹介してくださり、治療に行くようになりました。そのときに、いのちの水誌などをMSさんから受け取っていました。1999年にクリスマス特別集会に誘われて参加しています。その後、結婚して5年ほど経ち精神的に不安定になっていた 2004年10月から集会に参加するようになりました。手話や賛美歌、植物に興味あるでしょう。と土曜日の集会からの参加を勧めてくれました。そして小羊集会、つゆくさ集会、北島集会とすこしずつ増やして参加できるようになりました。いちばんだいじな主日礼拝には午前中は苦手と言い訳をしながらなかなか参加できなくて、10年くらい経ってから参加できるようになりました。
 3つの持病は、14歳、20歳、33歳の時に診断がつきました。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
マタイ福音書4章4節「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」
持病のことで悩むとき、この御言葉に励まされます。

 つぎに父母を通して受けた神の愛と導きを話します。
父は2011年に亡くなりました。喪主は私でしたが、父の兄弟が7人いますので、葬儀は仏式で伯父たちに取りしきってもらいました。父の大事な葬儀、トラブルは避けたいと思ったからです。父の3回忌に向けて準備をしているときに、母が「今回の法要が終わったら今後はあなたが主体となってしていってよ。」と言うので、「私はキリスト教だから、仏教のことはできない。」と言いました。そうすると、「私の葬儀までは仏式で。」と言っていた母が「キリスト教に変わっても良い」と言ったので驚きました。祖父母と妹、そして父のお骨をトラブルなく徳島キリスト教霊園に移すことができました。母が納得いくまで時が与えられ、人間の思いであれこれ言わなくても、神様が働いてくださることを思います。
コヘレトの言葉3章1節「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」ことを思いました。

父の亡くなった後に離婚していたので、経済的なことや私ひとりで母の支えになれるかどうか不安でした。
詩編 55編23節「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。」の御言葉に励まされました。

 2019年は母に一年のうちに次々と3つ深刻な病気の診断がされました。信仰に導かれていなければ、私自身が受け止めきれずに取り乱していただろうと思います。両親の闘病にしっかりと向き合うことができたのは、背後におられる神様のお支えがあったからだと感謝します。
イザヤ書30章15節「お前たちは、立ち帰って 静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」
 母のさいごの一週間は病院で泊まり付き添うことができました。危篤状態となり集会代表:吉村さんに葬儀場の手配をしていただき、打合せに同席していただき、すべて吉村さんにお任せできました。母の葬儀をした2020年2月23日は、次の週から新型コロナ感染症の緊急事態宣言のため、礼拝はオンラインのみ、葬儀も身内だけで、となる直前でした。礼拝のあとに集会から大勢の方に参加していただき、喪主である私に集会の皆さんの支えがあるように、という神様の愛を思いました。

詩編37編23節「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」

 いじめの時に言われたこと、また自分自身の性格などから、働けない、なにもできない、私はだめだ、役に立たないと自己否定する部分がありました。しかし病気もいろいろな出来事もすべて神様の御計画であることを知りました。人間の時間と労力には限界があり、必要なタラントも異なるので、神の御用に用いるために私に必要なものを神様が備えて導いてくださったことを感謝します。大きな声で話せるようになったこと、パソコンもその一つです。
これからも信仰から離れないで、御国への道を歩んで行きたいと思います。以上です。

上のイラストは、89歳の集会員の女性が会場のホワイトボードに描いてくれました。
看板などに絵や文字を描く仕事をされていた方です。
Google Meetの録画からのスクリーンショットなので、すこしぼやけてしまいました。

下の天使たちは、集会の姉妹がプレゼントしてくれました。
「葉瑠☆友幸とチームの仲間たち」みたい。
〇 チームA…KS兄とKK姉、Google Meet つないだり、ホームページを更新など。
オンラインでの作業で離れていますが、一致団結して協力しています。

〇 チームB…YT姉とTY姉。葉瑠☆友幸の家に集まって。
葉瑠☆友幸のために、除菌スプレー・手洗い・マスクできちんと対策してくださり、作業しています。

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2025年12月 5日 (金)

ことしさいごの満月と、新しい集会ホームページ

 葉瑠☆友幸が所属している 徳島聖書キリスト集会新しいホームページが公開されました。
(*)アドレス https://tokushima-bible.jp-church.com/

 従来のホームページ(pistis.jp)も、ひきつづき更新されます。

 集会の二つのホームページが神様に用いられ、病気や怪我により痛み苦しみのある人たちに、心の奥に深い闇を抱えている方々に、戦争中の国々、飢餓や貧困に苦しむ方々に、また若い世代の人たちにも神様の福音が伝わっていきますように。

ことしさいごの満月、雲と雲の合い間に見ることができました。

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2025年12月 3日 (水)

痛い目に遭わなければ分からない・・・救急搬送

こんにちは。体調は守られていますか。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
ガラテヤ5章13節「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」

11月17日、寝る前に右足の股関節が痛くて、壁に手をつきながら、休み休み歩く状態でした。
寝返りのたびに痛さを感じながら眠り、起きてからもおなじ痛さでしたが、次第に治まると思っていました。
ずっと立っていられないので、日中は ぶどうパンを食べられただけでした。
夕食はよく行くお店に出前を頼み、(土間におりて玄関の鍵を開けたあと、上がれなかったら困るので)窓から受け取りました。
受け取った後、もう夕方で暗くなってきたので、窓の鍵を閉め、電気をつけ、窓から離れたところにある椅子に座って、いつも行っているかかりつけ医に電話しました。「一晩様子を見て、明日の朝に電話ください。」とのことでした。

そのあと、かかってきた電話に出て、30分ほど話をしていました。
そして、トイレに立とうとしたら、痛さのため右足を椅子から浮かせることができず、立ち上がれなくなりました。

一晩、様子を見ている場合じゃない!! 救急車!!

集会のKKご夫妻に来てもらい、救急車の手配や持ち物の準備などをしてもらうことができました。
電話をしてから、「鍵を開けれない!!」ことに気づき、仕方なく窓を割ってもらいました(泣)
鍵を開けれないと、救急隊員も入れないので、どちらにしろ、割ることになったと思います。
鍵を開けてもらう会社(?)探す時間も、来てもらうまで待つ時間もなくて。

電話していた直後だったので、スマホが手に届く位置にあって良かったです。
(取れないところにあったら、どうなったのだろう。。。。)

すこし右足を動かそうとするだけで「痛い痛い痛い」 
トイレの介助を試みてくださった KKご夫妻のサポートにも、救急隊員のサポートにも叫び続け、家ではできませんでした。

救急車の中でも、痛いほうの足が担架から落ち、宙ぶらりんになるたびに、隊員の方に担架の上へ足を戻してもらいました。
いろいろ病気があるので、大学病院で受け入れてくださいました。消化器内科の先生が診たあと、整形の先生も来られました。
救急外来に着いてからも、「痛い痛い痛い」と叫んでいました。
ヨシュア兄のおられた整形の病棟へ入院しました。

股関節の炎症により、股関節の中に水が溜まっていたとのことで、10ミリリットルほど水を抜き、輸液の24時間持続点滴、抗生物質「タゾピペ 4.5g 3回/日」や痛み止めの点滴「アセトアミノフェン静注液1000ml 0.5袋」をしました。
入院の日は結局のところ、ぶどうパンしか食べられず、2日目は朝食なし。水分もほとんど摂れませんでした。 
歩けない。立てない。のため、尿の管を入れ、オムツ。ベッド上で安静でした。

入院当初は、右足は棒のようで、痛くて寝返りも難しいため、褥瘡予防のために、クッションを当ててくださいました。
2日目の昼頃から、ゆっくりと足を動かすことができるようになりました。しかし、動かしたと思ったら、足がつって、「痛い痛い」と言ってました。水分不足・脱水ですね。

集会の姉妹に、ペットボトルのお茶を買ってきてもらい、なるべく飲むようにしたら、足はつらなくなりました。

3日間の点滴が外れ、採血をした結果、高かった炎症反応が落ち着いてきて、5日間で退院できました。
点滴の外れたあとは、痛み止めの内服「アセトアミノフェン錠200mg 毎食後1錠」を処方されました。
細菌感染ではなく原因は分かりませんが、MRIやCTでも異常は見られませんでした。

パソコンに限らず、何をするにしても、取り掛かるのが遅く、始めると身体を労わることを忘れ、途中で休憩したり、姿勢を変えることなく、区切りがつくまで長々と作業してしまいます。
無理をしているつもりはないのですが、限度が分からず、症状が出てはじめて、し過ぎたことに気づきます。

長く続いているステロイド治療の副作用や免疫力低下、寒暖差も影響があったかもしれませんが、人間には限界があり、先のことは分からないからこそ、悪いところに気づき、改めることが大事だと知らされました。
痛い目に遭わなければわからない葉瑠☆友幸に、気づきを与えてくださいました。
これから数年先も動けるように、適度な時間で休みを取りながら作業していきたいと思います。

退院時はYT姉とTY姉が付き添って荷物を家まで運んでくださいました。

26日~28日までの瀬棚聖書集会に自宅で参加できて感謝です。兄弟姉妹のお祈り、お支えに感謝します。

退院後、出前に来ていただいたお店に支払いに行きました。(財布も取れなかったため)
そこで、いつも親しくお話をしてくださっていた男の方(Oさん)が亡くなられたことを聞きました。
Oさんは、夏ごろに入院するまで、足が痛いと言いながらも、スーパーにも自分で買い物に来ていて、お会いしていました。
いつも近くの銭湯に行った後、葉瑠☆友幸も食べに行く飲食店で、お会いしていました。
退院のあとは、酸素吸入が必要になられたとのことで、最近は会えなくなっていました。

おなじ町内にある市営住宅の4階に住まわれていて、エレベーターはなく、足の調子も良くなかったので、降りてくることができず、介護ヘルパーさんのお世話になっていたようです。
おなじ調剤薬局なので、時々、薬剤師さんからお話を伺っていました。金曜日頃に救急搬送され、急だったようです。
11月16日に葬儀だったそうです。
葉瑠☆友幸との交わりを感謝します。甥の方に葬儀の写真を見せていただきました。

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