阿波踊りの思い出、詰め込みました
35℃以上の酷暑が続いていますが、お変わりないですか。
葉瑠☆友幸は、いまのように猛暑・酷暑というようになる前(2018年頃?)までは、汗をかくこともなく、冷房も苦手でした。家族と冷房の部屋にいる時は、長袖を着て、という状況でした。
それが猛暑、真夏日が多く、気温も高くなった近年は、人並みに汗をかき、除湿30度設定+扇風機という部屋で過ごしています。設定を見ると、まだ寒がりのほうかもしれませんが。
なので、甲状腺機能低下症は、正常だと思っていましたが、血液検査の結果、低下ぎみだということで、
チラーヂンSが1日1回・朝食後 2.5錠 ⇒ 3錠 になりました。
貧血の注射も続けています。
それ以外は、病院と買い物以外、自宅にいて、礼拝などすべての集会に参加でき、守られております。
阿波踊りの思い出。。。
8月12日~15日、四日間ある阿波踊り。
4日のうち、1日は雨に降られるのですが、今年は大丈夫そうですね(*^_^*)
雨に降られると、小雨決行なので、太鼓や三味線にビニール袋をかぶせて、浴衣の着替えもなく、大変だと思います。
無料演舞場では、間近で写真を撮ることができ、楽しかったです。
<10年ぐらい前の情報です。いまは取り決めがあるかも。
葉瑠☆友幸が見に行った、新町、元町、両国橋 の無料演舞場と、東新町アーケードのことです。>
18時から通行止めにして、2車線の道路へ踊り込みます。
鉄パイプの組み立ては数日前から始まり、板を渡して、桟敷席の完成です。
連というグループに分かれて、踊ります。
先頭の人が連名の書かれた思い思いの高張提灯を持って、そのあとを連員の方の子供かな?
まだ踊り方もかわいい、ちびっこが付いていってます。
浴衣に編み笠の女踊り、法被を着た男踊り。女性の人の男踊り。
まとまって踊ったり、円になって踊ったり、左右に分かれたり。
鳴り物に合わせて、早くなったり、停止したり。
最後尾の鳴り物は、笛、三味線、太鼓、鐘。
かけ声は、「踊る阿呆に見る阿呆、おなじ阿呆なら、踊らにゃソンソン」「ヤットサーヤットヤット」など、連ごとにそれぞれです。踊る阿呆(連に入り踊ること)見る阿呆(見物客)
特定の連に入らずに、にわか連と言って、その日に集まって、踊らせてくれる連もあります。
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大学病院の先生方も学生さんと一緒に、連を作っています。
「にないか連」(消化器内科)、「にげか連」(消化器外科 )、「栄養学連」(栄養士)などなど。
入院中に、大学病院のロビーで「にげか連」が踊っているのを見に行きました。
消化器外科の主治医はお忙しいので、踊りが終わってから、ロビーに来られました。
消化器内科の先生は、演舞場近くで、連の移動中に会いました。
お二人とも、踊っている姿は見えず。。。
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結婚後に母と同居する前まで、住んでいたところの斜め前が、徳島大学の事務局の建物でした。
踊り期間になると、そこで練習している音や声が聞こえてきました。
そのかけ声は、「末は博士か、やぶ医者か。」
やぶ医者は困ります。良い医者になってください!!と、部屋の中で呟いてました。
独身の時は、毎年、家族と見に行っていたと思います。
いつも2日間くらい、行っていたと思いますが、その頃はブログをするとは思っていませんでした。
ブログを始めてからは、演舞場にあまり行ってない!! なので、使える写真がない!!
特定の人を大きく映しているのが多い。友人のアップとか、おもしろいポーズの人とか(^_-)-☆
4人で見るときは、16時ぐらいから、お握りとお茶を持参して、祖母と母と出かけます。
早めに行かないと、バスも満員で乗せてくれなくなります。
臨時便も出るのですが、乗れないよ~と、運転手さんに手を振られます。
無料演舞場の席を取り、父は仕事が終わってから合流。
母は、やっこ踊りが好きでした。
踊り手2人がコンビを組み、奴凧(やっこだこ)と糸を操る人を演じ、鐘の音に合わせて駆け回り、疲れた奴凧は道路上に寝てしまうのですが、少しずつ少しずつ起き上がり、さいごは観客とほかの踊り手のかけ声で元気になります。
祖母も割と浮き助(ウキウキ浮かれて)で、帰り道に踊ったりして、母が恥ずかしい!!と、止めてました。
父と葉瑠☆友幸の二人で見に行くときは、夕食後から出かけて、空いている席に潜り込んでいました。
いちおう、葉瑠☆友幸は女の子なんですが、お構いなしに後ろ側に組まれた鉄パイプをよじ登っていったり、前からお邪魔したり。ズボン姿で子供だったからできたことです。
ある時、父が踊っている人に、ちょっかいを出して、一度、出口まで一緒に踊らされました。(笑い)
「カメラ、カメラ~」と言って、葉瑠☆友幸にカメラを手渡すのが精いっぱい。
葉瑠☆友幸は、周りの人と大笑いしてました。フゥフゥ言って、席に帰ってきました。
父は一人でも、自転車で出かけるほど、阿波踊りが大好きでした。踊る阿呆にはならず、見る阿呆でした。
企業連と言って、会社で作っている連もあります。また芸能人の方も来られます。
元夫は、追っかけ状態。事前にチェックして、出かけてました。
元夫と、高校の時の親友と、カラオケBOXで歌ってから、阿波踊り見物に行ったことも良い思い出です。
親友の息子も加わり、元夫と追いかけっこしている後ろから、葉瑠☆友幸と親友はゆっくりと付いて行ってました。
こどものパワーに付き合わされ、元夫は汗だくでした。
小学生の運動会は、いつも最後のプログラムは、阿波踊りでした。
学校近くのラーメン店の人が連長をされている連の方々が、いつも鳴り物などのお手伝いしてくださいました。
近年は、葉瑠☆友幸は、テレビやネットで見るだけになりました。
人込みを避けなくてはならないのと、演舞場の移動は、足がだるくなるので、やめました。
なんとなく見たくなったら、阿波踊りの中継サイトへアクセスしています。
猛暑がまだしばらく続きますが、体調が守られますように。