耳を開いてくださった神
こんにちは。体調は守られていますか。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
詩編40編7節「ただ、わたしの耳を開いてくださいました。」
使徒言行録9章18節「たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」
神様の御声が聞こえないのは、耳が詰まってるから。神の業が見えないのは、目に鱗のようなものが張り付いているから。
心から求めない限り、神が選び一方的に与えない限り、人間はみんな霊の耳が閉じていて、霊の目も閉じています。
だから、霊の耳で聞くことができるように、一方的な神様の業で、耳に穴を開けてくださいました。
詩編19編2節「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。」4~5節「話すことも語ることもなく 声は聞こえなくても、その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。」
さまざまな星々、夕焼けの美しさ、風の音などの中に、神様の意図が込められていることを感じる。
耳に穴を開けてくれたら、神様の霊的な言葉として、少しずつでも聞こえるようになります。
イザヤ書35章5節「そのとき、見えない人の目が開き 聞こえない人の耳が開く。」
Ⅰコリント 1章2節「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。」
神様の大いなる驚くべき業によって新しく生まれ変わり、見えるようになり、聞こえるようになります。
耳の口が通じて、神の声が聞こえる者となれますように。
耳の聞こえ といえば。。。
病気によって、聞こえづらくなることもありますね。
葉瑠☆友幸も、5年ほど前に、爪や耳かきで傷つけてしまい、膿がにじみ出て、外耳炎になりました。
綿棒で拭き取って、よく清掃した後、「レダコート軟膏0.1%」を塗り、耳鼻科での消毒・治療で細菌の増殖を抑えていきました。
治療中は、綿棒を入れていることもあり、まさに耳の入口が塞がれた状態でした。
難聴のため、(部分的に)聞こえない、聞き間違うということもあります。
中学生のときの身体検査で、時計のコチコチという音が聞こえたら手を挙げるのですが、葉瑠☆友幸はいつまでも手を挙げませんでした。
教室の中がシーンと静まったのを思い出します。保健室へ行き、耳鼻咽喉科で聴力検査を受けました。
電話は右の耳で聞くようにと言われました。口の動きで言葉を読み取るように言われましたが、むつかしくて無理でした。
それからは、学校では教卓の近くが指定席でした。席替えをしても周りが変わるだけでした。
周りが騒がしいと、聞き取りにくい、聞き間違うことがあります。
今の状態は、補聴器を使うと、すべての音域が聞こえないわけでないので、逆に騒々しくなる。
生活に困らないなら、使わなくて良いとのことでした。
そのことを知ってから、聞き間違えないように、メモをよく取るようになったと思います。
騒々しい場所で、大事なことを聞く必要があるときは、相手に近づくようにしています。
55歳となりました。集会の姉妹からのプレゼント。お花をもらったり、アオサギの写真をもらったり。
KK姉はYK兄と夫婦デュエットで、ハッピーバースデーを歌ってくれました。
きょうは今年に入ってはじめて、すこし遠くまで歩くことができました。
おかげさまで、蜂須賀桜に出会えました。セキレイが散歩しているのにも出会えました。
モクレンの花も満開です。山の向こうに陽が沈むところでした。
かかりつけ医の 点滴の日だったのですが、大先生が出かけられるところでした。
息子の若先生に外来診療を任せてから老健施設の往診を担当されているので、最近あまりお会いできなくて、「いのちの水」誌も看護師さんに預けていました。久しぶりにお会いでき、お話ができたこと感謝です。
また別の病院ですが、父の肺がんが疑われた時、母がリチウム中毒で意識障害になった時に、お世話になった女医さんともお会いでき、母が亡くなったことなどお話しできました。こちらの病院は、インフルエンザの入院で葉瑠☆友幸もお世話になりました。
感染症の入院または整形外科や外科の診療で受診しないかぎり、会う機会もありません。ちょうど出かけられるところへ、出くわしました。
神の恵み、神の御計画がいろいろあった誕生日の夕方でした。