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2024年2月

2024年2月27日 (火)

歩く道

こんにちは。体調は守られていますか。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
章節「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

現在は、前回のブログで書いたとおり、息苦しくなることもあって、散歩ができていません。
症状のない時は、今日は東西南北、どちらへ向いて行こうかな~と、30分弱、散歩していました。
息苦しさや足の浮腫もあり、健康な人より歩くスピードは遅く、トボトボ、ゆっくり。
途中で写真を撮影したり。筋力増強にはなっていないと思います。(笑)

どのぐらいの距離を歩いているのか、コースによって、どれだけ違うのか。Googleマップで調べてみました。

毎日、最低限歩く距離は 350m。5分くらい。いま この短い距離で、途中で息苦しくなってます。

自転車で雨の日、合羽を着るには、ダウンジャケットが着れず寒いので、
近くの病院~かかりつけ薬局経由で帰るときは、1.1km。
帰って来た時、息苦しかったです。

散歩がまったくできていないので、その日は頑張って歩きました。

南へ向かって、見晴らしの良い公園経由で帰るときは、1.5km。
昨年5月にアオスジアゲハに会えたところです。

北へ向かって、ベンチの上の桜に会えた公園経由で帰るときも、1.5km。

近くの病院の帰り、南側の橋を渡って川沿いを歩き、そして北側の橋を渡って帰るときは、2.2km。

いちばん遠いコースは、もう一つ東側の信号まで遠回りをして、見晴らしの良い公園経由で帰るときは、2.6km。

地元をウロウロしているだけですが、あっちこっち回って、楽しんでいます。

徒歩の場合は、自由気ままに道を曲がっても、どうにか目的地に着くことができますが、
車の場合は、一方通行だったり、進入禁止だったりあるので、ナビや地図だけでたどり着くのは大変ですね。

葉瑠☆友幸の家にはじめて来られる方も、ナビを頼りに来てくださっていて、
『近づいた。もうすぐ着く!!』と思ったら「通り過ぎた~」と、言われてました。
(葉瑠☆友幸が車を乗らないので、一方通行の道などを知らず、細い道への説明は分かりづらいみたいです。)

宅急便の運転手の方も、道を間違えて入り、分からなくなり、電話がかかってきました。
固定電話だけのときは、説明が大変でしたが、いまはスマートフォンがあるので、
通話のまま外へ出られるので、説明しているうちに、会うことができました。
(一日に何十件も回らないといけない職業の方
や、何時までと行く時間が決められている職業の方は、
ナビや地図ですばやく見つけないといけないので、大変だと思います。運転が守られますように。)

イエス様が導いてくださる道は、途中で道が分からなくなることなく、御国へと続いています。
道からそれてしまっても、神に立ち返るならば、罪を赦してくださり、正しい道を歩けるようにしてくださいます。
信仰から完全に離れて迷ってしまわないように、イエス様が導いてくださる道を歩んでいけますように。

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2024年2月22日 (木)

母の召天4年

こんにちは。体調は守られていますか。
葉瑠☆友幸は、下痢と息苦しさが続いています。
主日礼拝と夕拝、家庭集会にはスカイプで参加できています。

2月6日(火)~8日(木)の瀬棚聖書集会にスカイプで参加。主題「死と永遠の命」
第50回ということで、瀬棚の方々の証しをお聞きしました。
プログラムごとに賛美が2曲ずつ選ばれ、ぜんぶで18曲。瀬棚聖書集会の方々の賛美を聞くことができました。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用
創世記1章2節「神の霊が水の面を動いていた。」
エセキエル書27章4~5節「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。」
神の霊…神からの風(divine wind)が吹いてくる。創世記のはじめから新約の時代まで続き、そして信仰を持ち続けている限り、私たちのところまで吹き続けています。
 
2月11日の主日礼拝で、「心に残っている御言葉」として、葉瑠☆友幸が話した内容に、加筆しました。

詩編3編6節「身を横たえて眠り わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。」

父の定年退職と同時に父が働いていた工場は閉鎖されましたが、アルバイトしていた鉄工所で、やり残した仕事、機械の点検・修理を続けていました。そんなときに肺癌が見つかり、閉塞性肺炎も起こしていたので、発熱や胸の痛みで身体が思い通りにならず、入院になりました。その仕事の取引先の方が富山からお見舞いに来てくださり、図面を広げて機械の話などをして帰られました。それから抗がん剤治療を続けていましたが、転移性脳腫瘍の悪化のため、車の運転も禁止されました。
父が車を処分して数か月後、亡くなる一カ月前のことですが、「倉庫の位置を移動する。そのほうが明るいだろ。」と言って、父はアルバイト先の鉄工所から倉庫を持ち上げる手動式の道具を借りてきました。父がひとりでぼちぼち作業しているときも、母か葉瑠☆友幸のどちらかが近くにいましたが、脳腫瘍の位置が小脳だったため、もう平行感覚が保てなくなっていて、椅子から横に倒れるたびに「お~い、起こしてくれ。」と家族を呼ぶ、そんな状態でも父は作業していました。部屋を明るくする目的もあったと思いますが、あとに残る家族が困らないようにと考えての作業だったのかもしれません。
仕事の取引先や家族のために、最後まで父がやり遂げるための体力と気力を神様が与えてくださり、支えてくださったことを思います。
 
母も悪性リンパ腫の抗がん剤治療の3回目が終わり退院してきてすぐ、放射線治療が始まる前でしたが、「台所の6人掛けのテーブルを処分して、レンジやトースターを置く棚(3段)や収納ケースを購入しに行く。入院中にずっと考えていた。」と言った時には驚きました。

2019年1月の入院のあと体重が減り、LLサイズからLサイズへ。服を多く処分したので、母の部屋の入口にあった整理ダンスも処分。(召された後は、ズボンはかなりウエストが違うので処分しましたが、Tシャツやブラウス、ジャケット、靴下、エプロンなどは着ています。当分、買う心配ありません。)
亡くなる前の入院時、間質性肺炎により酸素濃度79と酸素マスクが必要なほどになったときは、病室内のトイレに行ったあとベッドに倒れ込むほどでした。家具の処分を言い出した時(*)、母は放射線治療、肺がん治療と続いた後のこと、息苦しくなったときのこと、介護のことなどを考えて、家の中を移動しやすくしておきたかったのかもしれません。
(*)2019年10月下旬。この時は、肺がん治療ができる予定でした。間質性肺炎の悪化により、家に帰れなくなる、酸素マスクを常時装着することになるなど、想像もしていませんでした。
父が仕事を掛け持ちして、1982年に建てた(一戸建ての)家に、住み続けたい。家が老朽化していくのも見届けたいと言っていました。身体がしんどくても、酸素吸入が24時間必要でも、家に帰って治療を続けたいと、さいごまで望んでいたことと思います。


葉瑠☆友幸も年末から先月まで、5年ぶりの咳喘息になりました。かねてからの胸水もあり、歩いている途中で息苦しくなって立ち止まる時が続き、両親の苦しみを思いました。

父も母も咳や息苦しさ、胸の痛みで眠れない夜もあり、「やっと一日がおわった。やっと朝が来た。」の毎日だったと思います。
私たちの苦しみのとき、主が顧みてくださり支えていてくださる。感謝します。以上です。
 

徳島県の自殺者が昨年1年間で、女性と若者を中心に100名とのNHKニュースを見ました。
原因・動機は健康問題。そして経済・生活問題。交際問題。家庭問題。
どうか重荷を抱えている人に、寄り添ってくれる人が与えられますように。

葉瑠☆友幸はキリスト教の信仰により強められ、主にある交わりにより励まされています。
神様、イエス様とつながり、聖霊が注がれ、力をいただいていることに感謝です。
集会の姉妹が、家で作ったお米で
お粥を炊いて届けて下さったり、いつも気にかけてくださり感謝です。
パソコンやスマホの使い方などで頼ってくださり、家に来てくださったり。集会場に行けない状態の葉瑠☆友幸を元気づけるために、2~5人の少人数での集まりにお声掛けしてくださり、夕食を作ってくださることに感謝です。ひとりで暮らしていても、孤独ではありません。

母が召されて4年となりましたが、「がんばってるね。」とは言えない状況です。
朝食はバナナだけだったりして(お腹の不調のため)、
食事もきちんと摂れず、生活習慣も乱れています。
体調が悪いから、きちんとできない。きちんとできていないから、体調も良くならない。
どうか母のいた頃のように、規則正しい生活に戻れますように。

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